私の、いわゆる配偶者は、かつては霊感がありました。
つまり、今はないのですが、なくなった、というより、センサーとして機能しなくなった、という感じなんだと思っています。
まだ機能していた頃を知っていますので、その頃、私も少しはその方面を学んだと思います。
私はもとからそっちのセンスはありません。
ですので、配偶者はセンサーが機能しなくなることで少なからず生活環境が変わったと思いますが、私は以前と変わりようもなく、ただ知識だけがそのまま残った、という感じです。
霊感のある人は、そのセンスで霊の、念の存在を感知しますが、私の場合は、理屈で存在を「予測」します。
もちろん、感じることが出来ないので、その予測が正しいのかどうか、もわかりません。
ただ、そのような存在がいてもおかしくない状況や、そういう存在がもたらす物理的な、目に見える現象や症状を加味して、もしかして、と、警戒をしたり、祓う(ような行動をした)方がよい、と言ってみたりしています。
例えば、人というのは念を発する生き物らしいので、良くも悪くも感情的に深く思うところがあれば念を発すると聞きます。恨みつらみだけではなく、例えば片思いだったり、子どもを案じる親の気持ちなんかも、場合により念になるそうです。
なので、私の中では、とにかく人は念を発するものだし、それは事の大小、思いの大小によりその大きさも様々で、念があまりに大きいとか、強いとなると、念を送られた側の人の実生活に影響が出て、いわゆる「オカルト的な何か」として振る舞う、と考えています。
いわゆる配偶者からは、会社での話を度々聞かせられますが、誰それにこんなことを言われた、という話があれば、その内容から念が生じていそうなら、それを伝えます。
逆に、いわゆる配偶者の、誰かへの感情が強すぎれば、念が生まれるからやめなさい、と、意見することもあります。
繰り返しますが、それが合っているかはわかりません。
ただ、分からないからこそできる予防ってあると思いますんでね。常に警戒していることができる。
結局は、誰もが経験している、人間関係とか、空気を読む、というやつで、ただそこで人と人の間に行き交う空気や感情を、念として見ているだけのことです。
こういうことは、賛否わかれるというか、好悪が激しいというか、とにかく一般社会の中ではあまりするものではありません。
なので、私も、ここだけの話です。