例えば、幼少の頃に聞いた童話に、アリとキリギリス、というのがありました。
子供の頃にそれを聞いて、どういう印象、感想を抱いたか。
物語としては「よかったね」で終わる話ですが、作中では明らかにアリが「善役」で、キリギリスが「悪役」です。
真面目にコツコツ働いてこそ至高、というやつです。
別に、この考え方に異論はありません。
地面をウロウロするアリンコを見ていたら、まさに物語のように毎日働いてえらいなぁ、と思いますし、勤勉こそ至高、に例えられる意味もわかる、というものです。
ただ、人として、キリギリスのような生き方に、少し羨望は抱きませんでしたでしょうか。
物語では特に言及はありませんでしたが、もしかしたら著名なアーティストであるかもしれず、あの虫たちの世界に貨幣が存在していたら、お金で全てを解決できるほどの財を築いていたかもしれない。
そうでなくとも、童話でさえ、キリギリスはストーリーに1人で向き合いますが、アリは「集団」です。個が個として扱われていない。
なので、童話ではありませんが、例えばアリやハチが戦争をするとなると、大抵、働きアリ、ハチがゴミのように死んでゆく描写があります。
それでも生き残った一族が繁栄し、と、生存戦略として間違ってはいないし、ゴミのように死ぬことが美化されもしますが、それは、死んでからですし、個として、ではありません。
さて。
我が身を振り返れば、子どもの頃に見つめていたアリと、なんら違いがないことに気が付きます。
あぁ、アリよりも怠惰ですから、アリさんに負けています。
夢持って働いていたり、人を統べる仕事をしている人もいるでしょう。
でも、人類が栄えてゆく、という観点で見つめると、アリの範疇からははみ出ていないのではないか。
人それぞれの活動は、確かに社会に必要な要素ではあるけれど、その「個」を見つめると、その効果が微弱過ぎて、存在の意味がわからなくなる。
だって、今、バスや電車で隣に立っている人は、私のことを知りませんし、今後も知らないまま一生を過ごしますし、それで人類の営みは成り立ちます。
私が社会に貢献できていることがどれだけあるのか。社内ですら微妙であるのに。
ただ、こういう微弱な効果が集まって、人類の営みになっているのだ、ということに、ただただ、不思議を感じている、というだけの話です。