kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

ひとりごと。

今、開催されている某国際的なイベントのマスコットキャラクター。

 

 

意外性のあるキャラクターだなぁ、と思うとともに、どうしてそうなったのか、という思いもあったりします。

 

 

こういうイベントのマスコットキャラクターには、人間味と言うか、擬人化というか、とにかく一定の「人らしさ」がないと、愛着は湧きにくいんじゃないのかな、と考えるからです。

 

人らしさとは何か、というと、自身の経験で言えば、最低限、顔の真ん中少し上に目が2つある。人間と同じような顔の作りであることがその要素で、これはなんか名前がありましたよね。法則名というか。人が人の顔っぽいものに愛着や愛らしさを感じる、という、現象というか、癖(ヘキ)というか。

 

 

このイベントのマスコットキャラクターは、顔の真ん中に目が2つ、という容姿ではないので、どれだけ可愛らしく描いたとしても、言葉はよろしくないのですが、それはクリーチャーにしか見えないと思うのです。

 

例えるのであれば、某ドーナツ屋さんのキャラクターである「ポン・デ・ライオン」。彼の顔の真ん中に目はなく、タテガミに模しているあのリングの丸それぞれに、目があるようなものです。しかも、それぞれの丸には目がひとつしかなく、かつ、目の合計は2つ以上で、配置は左右上下で均等でもない。

 

例えポン・デ・ライオンのお口がニャンコのようにかわいくても、目がそんなであれば、可愛らしく思えるか、というと難しいのではないでしょうか。

 

 

もちろん、こういうイベントのマスコットキャラクターというのは、その外見にはちゃんと由来があって、色にも由来があるでしょうし、外見の作りにも由来がある。

 

今回のマスコットキャラクターについては調べていませんが、何かしらを表現したのが、あの容姿なのでしょう。

 

 

いえ、アートとして考えれば否定するものでもないし、批判する対象でもなく、なんら問題はないのですが。

 

開催者が、それを良しとした、というのがにわかには信じがたいと言うか。

 

 

開催者はアーティストではないし、むしろイベントの成功のために効果的かどうか、という視点でキャラクターを選定するんだと思うんです。

 

もちろん、必要なメッセージは含みつつ、ですので、生み出すアーティストも大変な苦労があるとは思いますが、そんなアーティストの苦労を踏みにじるように、わかりやすさや愛着を求めるのが開催側、というのが不変のイメージです。

 

とはいえ、じゃぁ開催側もだいぶ先進的な考え方なのか、というと、全体の印象としてはそうも受け止められないので、よくわからないんですよね。

 

 

率直に私個人の意見を言ってしまうと、イベント会場でこのキャラクターの被り物が等身大で動いていたら、ちょっと、かわいいとは思えません。もう少しリアルな描写であったら、子どもが泣いてしまうんじゃないか、とすら思ってしまいます。

 

例えは非常に悪いですが、リアルに描写をしたら、グロテスクなホラーサバイバルゲームである「バイオハザード」に出てきそうなキャラクターだと思ってしまいます。

 

 

イチャモンをつける立場ではないのですが、それだけ、私の中で意外性がありましたので、あえて個人的意見として書き留めておきました。