自動運転化が待たれる自動車ですが。
私が子どもの頃は、もっと違った方式を想像していました。
地面に電極かなんかを埋め込んで、地面の下は、道路の電極が全て繋がれていて。
遊園地のアトラクションのような感じですね。まぁ、電車のATSだったか、そういうやつにも近いかも知れない。
車に自律性を持たせるのではなく、大元からコントロールするようなイメージですね。
このやり方だと、全ての車に同じ情報をもとに指示を出しますので、例えば信号が青になれば、並んでいた全車が同時に発進することも可能です。
ひとつの意思で全車を動かすので、かなり効率的です。
まぁ、道路は全部繋がっていますから、結局日本の全ての道路の管理を一括でやらざるを得ないので、スーパーコンピュータ並の計算能力が必要かもしれませんが。いや、それで足りるのか。
まぁ、子どもの考えたことなので、そこらへんのことまでは考えていませんでしたが。
ただ、このやり方は、歩行者や自転車との共存に課題がありました。
もしかしたら、自転車も全自動、みたいな時代も来るのかもしれませんが、さすがに徒歩は、機械仕掛けにはならんのじゃないか。
でも、電動の車椅子とかはあるわけで、そこにAIだか電極を取り付ければ、理屈としては可能です。ただ、さすがに歩くという行動は、それ自体が目的であることもあるでしょうし、自らの足で歩きたい人はいることでしょう。まぁ、そういうと自転車もそうなるか。
いずれにせよ、集中制御の範囲から外れる存在が道路上にいることは、この方式ではリスクになります。
もちろん、カメラで監視する方法はあります。道路上にカメラを置くのか、車に取り付けるのかは検討の余地がありますが。でも、それだと結局今の自動運転化、ということになります。
より安全な方法として子どもの自分が考えたのは、歩車完全分離です。
車は完全に地下のみ。地下というより、ターミナル駅の駅ビル前のように、歩行者は2階というか、地面を埋め尽くした空中歩道を移動し、車は地面を走るかんじですかね。
これは最初のインフラ整備が大変です。お金も莫大にかかります。
あげくに、人の少ない過疎地などは後回しにされてしまうので、そういう土地で高齢者が自動運転車にはねられる、なんて事故も起きてしまうことでしょう。全てが整うまではそのような悲劇もある。
ま。
これらは子どもであった私の妄想で、結局、現実の自動運転化、とは、車に目をつけて、脳みそをつけて判断させる、という方法になりました。
それらの技術進歩は目覚ましく、いまや車やロボットに対し、「機械」という言葉が使いにくくなりました。
アンドロイド、とは言いませんが、機械仕掛けのからくり人形、操り人形ではなくなりました。
全ての車がナイトライダーになるのも、そう遠くない未来ですね。