自分が大人になる頃には、公共交通機関を含め、交通事情はガラリと進化しているもんだと思っていました。
ですが、こまかな進化、変化はあっても、私の通勤は「鉄の車輪で鉄のレールの上を走る箱」であり、これは私の親、祖父母の時代から変わらない。
車輪がなくなり空中を滑っているとか、チューブの中を超高速で走っているとか、そういう景色は何十年経ってもまだ、出現していません。
また、この先も当分は見られそうにないですね。
私個人は、自動運転自動車が日本の交通インフラを担う、と勝手に考えてますので、空飛ぶ通勤電車が実現される前に、電車という公共交通機関が淘汰されてしまうんじゃないか、という予測もしていたりします。
まぁ、電車にギュウギュウになって乗り込んでいる人みんなが、個々の自動車で通勤、通学するようになったら、渋滞がすごくなりそうですけどね。
あ、でも、道を走る車が100%自動運転車になったら、もしかしたら「超絶規則的運行」をインターネットなどのインフラで実現できるかもしれませんね。まるで連結されているかのように同時加速、同時ブレーキの実現。まるで日本丸ごと遊園地のアトラクション化。
しかし。
電車にせよ、バスにせよ、人が運転をする自動車にせよ、それらのファンはすごくたくさんいて、今、私が妄想したような未来がやってきたら、それらの人の気持ち、思いはどうなってしまうんだろう。
もちろん、新しい文明の中で生まれた新人類は、そんな夢は抱かないでしょう。知らないんですからね。
ただ、これまでそういうファン層が何百万人もいた、とすれば、その思いが別の何かに注ぎ込まれるわけで。
今で言う「ヤン車好き」は、「走り屋」は、「鉄道ファン」は、未来だとどんな趣味を持つようになるんだろうなぁ。