kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

ゆずる。

とある朝、バスで座席を譲りました。

 

春休みで学生は乗っておらず、その日、車内は通勤時間帯とは言えゆとりがあり、座席にも空きがあったので私は座っておりました。

 

二駅先か、三駅ぐらいだったかで、足の不自由な方が乗ってこられました。杖、と言ってもステッキなどでなく、医療用のやつを使って、です。

 

私は個別の座席に座っていましたでしたが、隣に長椅子タイプの優先席がありましたので、そちらの方が座りやすいだろう、と考えていました。

 

ですが、どうも譲ってくれる方はいなかった様子で、慌てて私が席を譲りました。

 

 

座りにくい席でしたが、立ったままの乗車は危ないと思いましたし、まぁ、道義的に、というのもあります。

 

その方は何度もお礼を言ってくださいましたが、おそらく、ご自身に不甲斐なさを感じておられるのだろうな、と思いました。

 

おそらく先天的なものではなく、怪我か病気で突発的に不自由になられたのでしょう。そして、それはそんなに昔のことではないんじゃないか。

 

 

気持ちはわかるなー、とか考えながら、終点に到着し、降り際にも何かを言われましたが、音楽を聞いていたことと、あまり関わるのも相手に悪いと思い、そこからは他人として会釈だけして別れました。降りるのを介助するのは、違うかな、と思いましたし。

 

降り際には、運転士の方にもお礼を言われました。

 

確かに席を譲った時にもアナウンスでお礼を言われましたが、改めて言われるとは思いませんでした。

 

 

結論として、そこまで大したことをしたわけではないのですが、ここまでお礼を繰り返し言われると、かえって恐縮だなぁ、と思いました。

 

譲る、という行為はありましたが、これは刹那的であり、譲った、譲られた、お礼を言った、という、その刹那のやり取りで完結して良いと思ってますので。