目標があって、そのための手段は柔軟に考える。
目標が、平和とか、そういうものであればなおさら、柔軟さは必要かも知れない。
とはいえ、やはり方法によっては、後味の悪いこともあるし、納得しにくいこともある。
こっちを立てればあっちが立たないとか、そういうこともある。
明確な目標のために交渉をするのはわかるし、多角的な視野をもって説得することが必要なのもわかる。それが、表向きだろうと平和という目標のためなのであればなおさらだ。
それでも、やはり気持ちよくはないし、両手を挙げての賛成はしにくい。
ケンカを仲裁するのに、強い方に加担して弱い方をボコボコにする。確かに、ケンカ自体はその方が「さっさと」終わる。
ただ、それをまわりで見ている「弱者達」はどう思うだろう。
それを仲裁手段とするなら、もはや弱者は黙るしか出来ない。いいように搾取され、脅され、理不尽な扱いを受けても反抗できない。
表向きの平和の裏で、どのような思惑が進み、どのような深謀遠慮の策が張り巡らされるのか。
得られる手っ取り早い平和の先が、はやくも心配になります。