私は、日常的には写真を撮らない人間です。
ま、それは私のブログを見ていただければわかることで、自分で撮影した写真がブログに使用されていることはほとんどありません。
SNSが必須となりつつある中で、ネット上の活動で、写真、画像を使用しないのは賢くはない。ブログなんかでも、画像、写真は必ず入れろ、みたいな指南もあります。
スマホ、それ以前のケータイにカメラが当たり前に搭載されるようになって、写真というのはかなり身近になりました。
今の若い人は、昔は写真を撮るにも機材を準備したり、1枚1枚にコストがかかっていたことは知らないでしょう。
1日遊ぶのに、みんなで写真を撮るのに、撮影枚数の制限があったのも懐かしい思い出です。
さて。
写真家や、写真が趣味という方は別として、一般の人が日常の中で写真を撮る行為には、どのような意味が含まれるのかなぁ、と考えます。
私のようにほとんど写真を撮らない人と、毎日何枚も撮影する人。自撮りばっかの人と、景色ばっかの人。
タイプはそれぞれあると思いますが、私が考える、日常の中での写真撮影は、切り取り保存ですかね。
その日常を、またはイベントを、後から思い出すため、ということもあるし、それが事実だった、という証にするため。
まぁ、それらをキレイにまとめられますよ、というのがSNSの一側面でもあるわけで、逆に、写真を普段から撮らない人と言うのは、その瞬間瞬間を切り取って保存しようと思っていないということになりますし、その分、SNSの活動も限定的かもしれません。
つまり、その人にまつわる日常は、その人の中にだけ存在し、その人が忘れてしまえば、それが事実だったかどうかもわからなくなるし、そもそもその事実が再びどこかで誰かに意識されることはない。事実である必要もないわけですね。
ある程度の年齢になれば経験をしますが、身内が亡くなった際の遺品整理で、故人の写真というのは、意外と扱いに困ったりします。
今の時代はデータ化出来ますので、かさばるアルバムにして保存する必要はないですが、それでも、データ化して保ち続け、その後どうするのか、という問題は残ります。
でも、廃棄してしまうことは、その人の痕跡を消すことであり、生殺与奪ではないにしても、無碍に廃棄することにはためらいを感じる。
かといって、会ったことも気にしたこともない、遠い未来の子孫のために残し続けるのか、と。
旧家、名家ならあるかもですね。歴代当主の写真が飾ってあったりします。でも、日常を切り取った写真は、あのような肖像とは違います。
写真を撮らない人、嫌いな人というのは、そのような「痕跡」を残したくない心理があるのかもしれませんね。
逆に、写真を撮りまくる人は、痕跡を残したい、思い出を思い出として記録したいのでしょうかね。
さらに、自撮りばかり、つまり自分が被写体として写る写真ばかりという人は、どうなんでしょう、そこにいた自分を事実として刻みたいのか、逆に言えば、刻まないと自分がここにいる、という今この瞬間の事実さえ、自信が持てないのかも知れません。
あ。
私の個人的な考察なんで。一応、お断りしておきます。
で、何が言いたいのか、と言いますと、自分ももっと日常の写真上手になりたいな、ということだったりします。
ここまで書いて真逆のことを言っているみたいですが。
以下は、直近で自分が撮った写真。朝、霜で車の窓ガラスが一面凍っていて動けなかった時の写真。もう半月以上前です。つまり、私はせいぜい、月に1〜2枚しか写真を撮らない、ということですな。