生きることとは、欲することなのでしょうか。
欲すること、つまり欲が生きる気力の源で、欲が自我そのものなのでしょうか。
意識とか、魂とか、自分がこの世で自分たる根拠を探しても、明確に「これ」というのはなさそうで、根拠となる「要素」はあっても、それらがどのように作用し自分を自分たらしめているのかちっともわかりません。
このようなことは、宗教的であったり哲学的であったり、科学的にも説明を試みてはいるのでしょうけども、ピンとくる話は、今のところありません。
その原因、理由がわかっていれば、とっくに教科書に載ってますよね。肺が酸素を取り込んでいるように、胃が食べ物を消化するように、○○が自我を成立させている、と。
ちゃんと調べてみたわけではないので、自分が自分たる根拠というのが立証されていれば、そうなんだ〜、と思うしかありませんが。
死ぬことが怖い人と、死ぬことを求める人がいます。
その差は何なのか、と考えた時に、この世への執着、みたいな「よく聞く言葉」ではなく、具体的に何がこの世にとどまりたい、と思わせるのか、逆に留まりたいと思わせないのか。
死、というものへの恐怖も当然ありますが、その恐怖の源泉はどこにあるのか。
死への恐怖がある人は、当然、死ぬことにためらいを覚えるでしょう。病気などでやむを得ないことはありますが、自ら死へ飛び込むというのは、恐怖がある人には出来ませんね。
死の恐怖とは、痛みなどの苦痛でしょうか。それも間違ってはいないと思いますが、これは主ではないでしょう。痛みのない死もあるでしょうし、痛みから逃れるために死を選ぶ人もいるぐらいですから。
自分がこの世から消えること。それが怖いのなら、消えることがなぜ怖いのか。
想像できないことを闇雲に怖れているだけでしょうか。
生きよう、と思うことが既に欲ですかね。
自我を、保ち続けること自体が欲、なのでしょうか。