新年あけましておめでとうございます。
これと言って年末年始らしいことをせずに過ごしておりますので、毎年の事となりつつも、やはり新年を迎えた、という実感に乏しい元日でございます。
元日は母と墓参り、というのが恒例となっておりますので、今年もそれをこなし、やることもないし初売りでも見に行こうかとか、そんなことになるんじゃないかと。
ところで、正月と言えば年賀状、というのが日本の習わしとしてあります。
今はメールやSNSが普及し、ハガキを送る、という文化が廃れつつあるのは、実際の年賀ハガキの売り上げ枚数の推移を見れば明らかなわけですが。
自分としてこのことについて興味があるのは、お年賀メールや書き込み自体、つまりそういう行為はちゃんと生き残っているのかどうか。
いや、なくなったとは思っていませんが、SNSなら例えば皆へ発信という形で書き込みでもすればよいとも言えるわけで、つまり個々にいちいちメッセージを送る、という、ハガキをメッセージに変えただけの文化というのは、ハガキが減った分、増えているのだろうか、と考えると、多分、そうではないんじゃないのかな、と。
僕自身は、実は年賀状文化はやめています。
何か思うところがあってとか、決心してとか、そういうわけではないのですが、年賀状作成のような地道な「努力」は、僕には到底出来ないと思いましたし、実際に出来ずにおりましたから、もはや年賀状を送り合う相手はいなくなった、というのが正しいところです。
それどころか、インターネット上で年賀メッセージのやり取りをする人もいなくなりましたし、自分がお年賀的なことをSNSで発信、ということもしていません。他人のそれを見に行くこともありません。
互いが了承の上でそれをしないでいるなら、別に日頃からの関係は壊れませんしね。
世間では個人情報の管理も厳しくなり、同じ会社に勤める立場であっても個人情報を知るのは難しくなりましたね。同僚の住所なんて、まず社内のどこにも公開はされていないので人事課に問い合わせないとなりませんし、それでも年賀状を理由には教えてくれないんじゃないでしょうか。
いつからこうなったのか明確にはわかりませんが、世の中の流れとしてはこれがトレンドなのでしょう。極端に言えば、社員同士で年賀状を送り合う必要はないし、会社も推奨していない、と。
自分が正しかった、とか、先見の明が、とか言うつもりはありませんが、なんといいますか、年賀状という文化が廃れるとは思っていませんでしたので、少しびっくりしています。
まぁ、高齢化社会を迎え、人口も減少に転じていますから、今まで「昭和臭い人々」が保ってきた文化は、その担い手がおらず、淘汰されてゆくのでしょう。
もしかすると、僕の孫世代とか、その次の世代くらいには、有志が集って「年賀状文化保存の会」みたいな活動が発生しているかもしれませんね。
しかし、今の日本が抱える高齢化社会という社会問題が、寿命という形で終焉を迎える頃には、そのように消えてゆく文化も多いでしょうし、姿を変えてしまうものもあるのでしょう。
自分はかろうじて、それを見届けるか否か、というぐらいの立ち位置(年齢)にいると思うので、そういった文化をどのように見つめていくか、今から考えておこうか、なんて思ったりします。
何かをするつもりはありません。
ただ、嘆かわしい、と文句を言うのはあまりに自分勝手ですからね。歓迎はせぬまでも、日本という国が、日本に住む人が選択していかなければならないことですからね。できる限り、前向きにとらえたいと思うのです。
全然、新年らしくない本年初ブログでした。