仕事で、とある営業所に行きました。
ちょうどそこの営業所は「大改革」をしておりまして、様々な業務の運用の「合理化」を本社部署も介入してやっています。
まぁ、目的はコスト削減ですから、本社が無駄だと思った所にバッサバッサとメスが入る、というような感じなんでしょう。
本社は本社で、親会社の顔を見ながら仕事をしていますから、結果ありきの活動とも言えます。
なので、その営業所内はまさに、不満やら批判やら、怨嗟がトグロを巻いている、という状態と言えます。
その日は頭痛が発生しました。
僕の中で頭痛というのは、気持ちや感性などが影響して発生するものと思っています。
例えば、仕事が忙しすぎて頭痛がしてくるのは、仕事自体が頭痛の原因なのではなく、それにイライラする自分の心が頭痛を引き起こすと思っています。
他にも、イヤイヤやっている時の気持ちなんかも、頭痛のきっかけになるような。
きっと、頭痛が発生する医学的メカニズムはあるのでしょう。
ですが、僕はもっと心のこと、スピリチュアルに近いような感じで捉えています。
イライラするなど心がネガティブであると、波長というか、心の周波数が変わってしまいます。すると、耳には聴こえないんですが、そこいら中に漂う様々な「念」というエネルギーの塊があり、その中の、近い周波数のものとシンクロしてしまい、それが頭痛のきっかけになると思っています。他人の思念が入ってくる、みたいな厨二病みたいなことまでは言いませんが、周波数が合ってしまったその「念」により、イライラはブーストされ、悲しみは増幅され、みたいなことになる。
なので、僕はおそらくその営業所内でトグロを巻いている怨嗟のひとつやふたつと、周波数が合ってしまったんじゃないかと。いわゆる「毒気に当てられた」みたいなもんではないかと。
そして、帰宅してからはYoutubeでゴスペルを見て泣いてしまいました。泣くようなシーンでもないのに。
これはいよいよ、自分の中に違う感情を持つ何かがいるのでは?と思い、この文章を書いています。
僕はそっち方面の能力があるわけではないので、まぁお風呂に入ったり、お香を焚くぐらいしか対処法がわかりませんけども。
人に会うと、念をもらうリスクもあるんだと思っています。もちろん、会わなくてもそこいらを漂っている残留思念的なものもあるので、人が多いところ、人の出入りが激しいところを僕が好まないのは、もしかしたらそういう毒気に当てられてしまうからなのかもしれません。
頭痛だけではなく、急に荒々しい気分になったり、極端に悲しくなったりするのは、そういう方面が影響している、と思うのです。