kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

価値の移り変わり。

物の価値というのは常に揺れ動いていて、たまたま自分が生きている間の価値に基づいて物事を考えるし、その価値での哲学が生まれる。

 

まぁそれは僕が勝手に思っていることなんですが、

 

例えば今の僕の収入は、現代の平均所得とか、そういうデータから換算すると、けして、よいとは言えないかもしれませんが、すごく悪いとも言えない位置にあると思っています。まぁ、平均ではなく中央値などを見るとまた違うんでしょうけどね。

 

 

でも、我が家はお金が貯まりません。

 

貯まらないのは浪費があるからなのは間違いないわけで、賢い人は収入から逆算してコストを考えてゆくのかもしれませんし、ともかく僕は単純にそこらへんの考え方がまずいだけなのは確かです。

 

しかし、税金だとか、保険料だとか、天引きされるお金はどんどん増えていて、総支給20万の人の「手取り」は、僕が子どもの頃と今とでは、けっこう差があるのかもしれません。

 

なので、収入、と呼ばれる額面と、実際の生活というのが、どうも一致しない感覚があります。

 

 

もちろん、違った見かたもあって、僕の今の仕事ぶりが、収入に見合っているのかどうか、という疑問も僕の中にはあります。労働の価値というものも、変わっていると思います。

 

とはいえ、これ以上収入が下がるのであれば、いよいよ大掛かりに老後対策を考えないとならなくなりますが。

 

 

裕福な人と貧困の人、社会が二極化していると聞きますし、それは統計的にも間違ってはいないのでしょうけども。

 

今のこの物の価値、価値観に自分をチューニングしていかないと、結局は恨みつらみばかりになります。

 

おそらく、今を生きるてい人の多くは、親のほうが、同じような収入で同じような生活をしていても、家計が裕福だったんじゃないかと感じますし、それを幼少期であっても味わっていれば、今の境遇には不満が発生してしまうんじゃないかと。

 

いえ、上には上がいますし、下もまた然り。時代に関係なく貧困にあえぐ人もいれば、裕福な人もいるので、僕自身が、僕の人生の範囲内での価値や価値観を語っているだけ、ということです。

 

 

特に、価値も含めて、変化の波長が短く、大きいのが現代のネックで、短い一生の間に、何度、価値観を更新しないとならないのだろう、と。

 

かつての携帯電話だって、だいぶ大きな価値観更新の波でしたが、それだったら人間の2世代、3世代ぐらいはそのまま「ケータイ」でよいじゃぁないですか。

 

僕前後の年齢層の方は、黒電話、ワイヤレスホン(寝室に子機がおける!)、ポケベル、ピッチ、ガラケースマホと、電話機能ひとつでどれだけ価値観を更新しないとならないんだと。まだ、もう1回から2回ぐらいは、未来の電話に遭遇しそうです。

 

 

なので。

 

どれだけトレンドを取り入れようと頑張っても、結局、今だけの価値、価値観でしかないわけで。

 

あまり、躍起にならなくてもいいかな、と。

 

時代に取り残されたところで、大した差はないんじゃないかと。