こだわらないことに、こだわる。
そんな言葉に囚われていることがありました。
いや、今でも少なからずその影響下にはあるのだと思います。
私は昔バンドをやっていたことがあり、その時に「どういう曲を作っていくか」という課題がありました。
みんな、浅く短くとも、それぞれの音楽遍歴があります。楽器を触る前からも加味すれば、好むジャンルがあります。
結論からすれば、多くの人に聴いてもらえる曲を作るのがベストです。
そのためにどうするか、と考えていくと、まず、独りよがりではいけない、と。
自分が「イイ!」と思っているジャンル、曲調があったとしても、いわば「それはあなたの感想ですよね?」というやつです。
自分がイイと思っていても、他人がイイと思うかは別だろうと。
他にも、わかりやすさとか、入ってきやすさとか、色々と考えたのですが、ここではずれてくるので割愛。
なので、自分が好むジャンルや曲調にこだわらないようにしよう、ということで、こだわらないことにこだわる、ということを、その時の自分への課題にしました。
とはいえ、スキルの問題があるので、こだわらず手広くやるつもりでも、表現するスキルがないので、結局、似たりよったりにはなるんですけどね。
特に当時は、勝ち組・負け組なんて言葉も流行っていましたし、そのために資格とろうとか独立しようとか、そういう機運も非常に高い時代でしたので(今もそうなのかもしれませんが)、バンドをやるにも、まずは聴いてもらう、から入ろうとしたわけですね。
客を集めてから、好きなことをやろうよ、と。
なので、こだわらないことにこだわる、を意識するのがクセになっていたのですが、その頃から今までにおいて、こだわることの大切さも学びました。
こだわらずに特徴のないカオナシよりも、不器用でも社会不適応でも、これ、という自分を持つ大切さ、と言いますか。
例えば、成功者の自伝などを読むと、多くの場合、こだわっている気はします。
というより、病的とも言える執念が成功を呼んでいるようなケースもあるように見受けます。
こだわる、執着する部分についてはそれぞれとも言えます。作った物を売りたい、という人もいれば、金儲けの仕組みを作りたい、という人もいるし、そのどちらでもない自己満足に執着する、なんてこともありますね。
こだわる、とか、執着する、というのも、だから、人が高みに昇っていくには、必要な要素なのかもしれない、と。
なので、今、趣味でやっている音楽では、こだわらないことにこだわることもしない、というスタンスです。まわりくどいです。
イマドキこんな一昔前のバンドサウンドとか、若い人は聴かないんじゃない?と、耳元で「コダワラナイスト自分」が囁くわけですが、いや、自分が気持ちいいからこうするんだ、という「コダワリスト自分」を少しは尊重するようにしています。
ま。
趣味と割り切るから出来ることなのかもしれませんね。
音楽で売れたい、プロになりたい、という方々は、方針はどうあれ、もっと切実でしょうからね。
ですから、そんな私のスタンスで生み出される楽曲は、偏りがあるうえに、それを創作するスキルという問題もありますので、どれだけの方の耳に合うか、というと、あまり自信は持てないでおります。