調子に乗ると、痛い目を見る。
私はよく、小さい頃、親にそうやって叱られた。
そんな経験があるものだから、大人というのは調子に乗ったりはしないし、常に冷静で落ち着いているものなのだ、という印象を持っていた。
そういう経験は他にもあるし、そして、実際大人になってみて、そうでもないんだな、というのもわかってきた。
日頃、少し落ち着いて考えて見ればわかることが、一定のシチュエーションや、環境下に置かれると、それがわからなくなる。
これは大人とか子どもとかではなく、人間の性質なのだと思うし、それを踏まえて対策出来ている人もいれば、天才的にそういうことが発生しない人もいるのだろう。
職場の現場業務において、よく新人に話をすることがあるが、そんな中でも、この点はよくよく意識してもらおうとする。
手順だのルールだの、というのはゴロゴロあるが、基本的にはみんな真面目に守ろうとする。
そんな中で問題が発生する場合は、少なからず、手順を間違えた、守らなかったケースと、手順と手順の隙間にある「普段だったら気付く落とし穴」だったりするからだ。
日常生活の中で、部屋の空気を入れ替えたければ、窓を開ける。そして、窓を2ヶ所開けると、風の通りがよくなる。
これは、普段はわかっていて、そのように空気の入れ替え時などに活用するが、仕事中には、気をつけないと問題の種になる。
風が吹くと、紙は飛ばされる、風に舞うことも人は知っている。
それでも、何かに意識が奪われてしまうと、その当たり前が頭から抜けてしまい、仕事上の重要な書類を風で飛ばしてしまったりする。
それで反省すればまだよくて、同じシチュエーションで同じことを繰り返してしまう人はいて、その人自身が不真面目ではないにせよ、トラブルの受け止め方の問題や、他人に甘えている自分を知らずにいるなど、どこか自分自身の責任と受け止めきれていない何かがあるように感じるのも確かだ。
今、大炎上の渦中にいる某国会議員も、そのような部分が見えるように感じる。というより、以前からそういう部分は見えていた。
所属する政党として、組織ばったことが苦手なのかどうかわからないが、行動のうかつさや、詰めの甘さなどを見ていると、誰にも相談せず考えたスタンドプレーにも見えるし、だからこそ自分の中のシナリオに染まっていて客観視が出来なくなっているようにも感じるし、それを事前に指摘できない組織があるような気もする。
これまでは庇ってもらえたり、相手にも問題があったりで「たまたま」逃れてきた自己責任が、今回は逃れる術がなく四方を塞がれている、というようにも見える。
事、目的の良し悪しについては、私からは語れないけれども、言葉を生業とし、喋ることを生業とする立場なのであれば、少し落ち着いて、仕事の外側から一般の人間としてシミュレートしてみれば、事前にわかることのように思う。
ただ、外側から客観視させる、クールダウンして考えさせる、それを組織がさせられなかった一面もあるようにも感じる。
物事を鋭く見つめ、深く考え、策をもって言動を行う、エリートのような立場の人が、うちの会社に集まるような食い詰め者と同じような失敗をやらかすのを見ると、人の本質、外側にまとった虚像など、色々と考えさせられるなぁ、と思うのである。