もし、自分が大病し、安定して勤務が出来なくなったらどうするだろう、と考える機会が増えました。
先日ブログにも書きましたが、会社に闘病中の方がおり、その人は、体が動かなくなるまで、現役で仕事をしたいと言っており、会社はその意見を尊重しています。
私もそれに異論は全くないのですが、実際、頻繁に病欠があるので、実務仕事を抱えられていると、休みのたびに誰かが代わりを務めないとならないので、予定が立たないという現実があります。
そして、その役がもっぱら私である現実があります。
月曜日の出勤直前にに休む旨の連絡をもらい、そこから一週間の予定を電車の中で全て立て直し、出社したら私自身の雑務の代理を手配して、自分自身が代理を務めるための予習をしたり準備をしたり、とにかくペースから予定から、全部が直前に狂い、月曜の朝の僅かな時間でそれらをやらねばならず、と、肉体的よりも、精神的にキツイのです。
そして、代理でやる仕事は、私がやりたくない仕事なのです。
もともとその仕事全体の半分以上は私が持っていて、いつも嫌々やっているわけですが、週の前半はその人がそれをやることになっているので、私にとっては、少し気が楽なのが月曜なのです。
それが、あっけなく覆されてしまう、というのが、私にとっての現実です。
その人自身はもともと仕事熱心で、本当に辛いから休むのでしょうし、だからこそ、その人に文句を言うのは筋が違うと思います。
とはいえ、本当はやりたくない仕事をギリギリになってやる羽目になって、しかもそれを、笑顔で受け止めなければいけない。たいしたことじゃない、という雰囲気を醸し出さないとならない。
今年も早々にそういうことがあり、早くもちょっと心が疲れている今、冒頭のようなことを思ったわけです。
仕事への思いの強さ、というのもあると思いますが、私は、多分さっさと前線からは身を引いて、あまり迷惑をかけないような雑務を中心に仕事をするんじゃないか、と思います。雇用を続けてくれるなら、ですが。
自分が病欠してしまったら、むしろそれを気に病んでしまい、ますます体調を悪くしてしまいそうだからです。
これは、けしてその人への当てつけ的な思いではなく、純粋に「自分だったら」です。
そして。
この、やり場のない憤り。
こんなネガティブなことを書き連ねるなど、私もストレスが溜まっているんだなぁ、と、実感しています。