以前に、気の進まぬ飲み会に参加してみて、自分の運気、バイオリズムを占ってみよう、みたいなことを書きまして。
飲み会に参加はしてきたのですが、その占い結果がうまくまとまらず、苦慮しております。
まぁ、占いなんてやったことも学んだこともないので、完全な自分ルールでやるだけですが。
会全体から受けた印象は悪いものではなかったので、多分、自分で思うほど、自分のバイオリズムは悪くないのかもしれない。
参加している面々の反応などが、自分を映していると考えるなら、そうなります。
では、何が自分をこのように塞ぎ込ませているのか。
とにかく、環境なんだと思います。特に仕事ですね。
日頃より、仕事したくない、みたいなことばかり書いておりますが、それも、環境によるところがあると思っています。
そう書くと、言い訳をしているみたいで嫌になるのですが、とにかく今の自分は、会社内で活躍しているとは思えず、誰でもやれることをやっている、求められていない仕事をしている、という感触ばかりです。そんな環境で、気持ちが萎えているんではないかと。
まぁ、ここらへんは、異動してきたところらへんから色々と溜め込んでいることもあるのですが、それはまたの機会に。
飲み会占いに話を戻しますと、今の自分を見つめるのに、他人を見るのもひとつの手段なんだろう、と、今回も改めて思いました。
仕事をどこかに置いて、一個人としていれば、日頃思うほど自分はダメな奴でもないかもしれない。そう思えるぐらいには、今回の飲み会は、想定を超えて良い印象でした。
仕事をしている以上、客、身内かかわらず、少なくない人と関わっていくわけですが、それでも、精神的に孤独であったり、孤立していたり、内に内にと閉じこもってしまう環境というのはありますね。
解決にはならなくとも、そういう客観的な見方をするきっかけが作れるのも、他人に自分を映すからかもしれません。
なので、日々を前向きに過ごすためのきっかけ、とまではなっていませんが、結果としては、飲み会に参加して悪くはなかったな、と。
ただし、その後のお仕事が不調というか不運続きで、そっちのほうが気になっています。
今度はこれで、自分の何かを占うべきなのか?と。
声なき声が巷に溢れているのなら、それを聞き取る耳が欲しいものです。
聞こえてくるのは説教ばかりかもしれませんけどね。