前回、空(に浮かぶ月)をブログのテーマにしましたので、今回も、空続きの話を。
翼をください、という、有名な歌がありますね。
私としても、申し分のない名曲だと思いますし、世代を超えて歌い継がれる曲になっているのも納得だと思います。
ただ。
大空を実際に飛んでみたら、どうでしょうか。
たぶん、とても寒い。
そして、風切り音だけが絶え間なく耳から入ってきます。
一応、鳥のように飛ぶことを想定していますので、眼下には地上が見えるでしょう。ただ、海に出てしまえば、その景色は永遠とも思える、変化のないものになります。
雨が降れば、絶え間なく顔に当たります。速く飛べば飛ぶほど、痛くもなります。
それらを踏まえると、たいそう、孤独を感じるんじゃないかと思います。
なので、純粋に考えれば、大空というのは歌から抱くようなニュアンスではなく、むしろ厳しい自然を肌で味わうのだろうし、けして、楽しいとか、心躍る、というものとは違うと思われます。
ちなみに私は、この歌のリアルタイム世代ではありません。
もちろん、この歌に文句をつけているわけではなく、その当時の時代背景や流行った思想など、様々なことを加味して、上記のような厳しい環境の大空であることを承知の上で、それでもなお飛んでいきたい、と歌っているのではないか、と、よく考えていました。
人間というのは、字の如く、人にまみれて生きていくわけですが、それが嫌になる時があったり、醜く感じてしまう時があったりするんじゃないかと、年がら年中そう感じている私としては思います。
そんな、人臭さにまみれた生活に心をすり減らすよりも、厳しく、素っ気なく、物言わぬ存在であって、それでいて全てに平等である自然に抱かれたほうが、気持ち的には浮かばれるのではないか。
というわけで、すごく厭世的な歌なのかもしれない、と思うわけです。
子どもがみんなで合唱する、というのとは、どこか、雰囲気が違うのかもしれません。
そう思えば、爽やかな中に切なさを秘めたような旋律は、ただ楽しいだけではない何かを感じさせます。それが魅力でもあるのでしょう。
リアルタイム世代で、特にファンの方は、この歌の真に意味するところをご存知なのでしょう、多分。
私の親世代の歌だろうということを加味すると、まぁ、ああいう感じの思想などが含まれているんだろうな、と、歴史で習ったことのようには当て推量をすることが出来ますが、なんにせよ、当たっているかはわかりません。
厭世的。隠遁思想。
これらの言葉に反応してしまう自分は、やはりそういう一面が、性格としてあるのかもしれません。