kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

何かがいるという仮定。

夏らしいお話。

 

 

よく、犬や猫は、人には見えないものが見える、と聞くことがある。

 

確かに、複数匹のペットを飼っていると、皆が同じ方をじっと見ていたりするし、何やら挙動がおかしくなったりする。

 

 

まぁ、大半は、我々には聞こえない物音とか、そういうことなんだとは思うが。

 

 

我が家は、いわゆる配偶者の経験から、そういう方面、いわゆる、人には見えない何か、のことは、自然と会話の中に組み込まれていたりする。

 

「ん?なんかいるのかな?」

 

みたいな会話は(主に私が)よくするし、それが本気かどうかは別として、そういう事象も日常にあるもの、として会話することが多い(主に私が)。

 

 

主に私であるのも理由があり、私が配偶者の「そういうこと」に振り回されてきたからだと思う。配偶者は、もともとそういうセンスが敏感であった。

 

私はいわゆる「0能力者」であり、かつて肝試しに行った心霊スポットで、悪寒だの頭痛だの謎の声だの何かがついてくるだのと、ミニバンにフル乗車で行った面々が次々脱落するなか、私だけが何も感じず最奥まで行き、戻ってきたほどの剛の者である。

 

 

話がそれてしまったが、そんなだから、配偶者には色々感じたり影響があっても、私には何も感じられないのである。

 

それでも、実際に目の前で苦しんでいるわけで、わざわざ私と二人の時に演技する理由もないわけだし、これはつまり、そういうことなんだろうなぁと思わざるを得ない。

 

だから、とっさの時には除霊の真似ごとみたいなこともやってみたし、何より、見えない、感じない、という条件の中で、その存在を認め、存在する前提で対処を考える、ということをやってきた。

 

霊能力のない霊能力者というのがいるとすれば、私はその階段の途中ぐらいまでは上ったかもしれない。

 

 

いま現在、配偶者からその方面のセンスはなくなっている。全く失うものなのか、何かフィルターがかかっているのか、そういうのはわからないが、とにかくピタッと、そういうことは言わなくなった。

 

それはそれでよいことなのかもしれないが、問題は私である。

 

なんせ、もとから感じない、わからない、の状態で、そっち方面のことを学んだり付き合わされてきたのであるから、配偶者の側でホイッと終わっても、こちらは急に終われないのである。

 

 

なので、考え方の癖が残ってしまっている。

 

ただし、やはり感じない以上、その真剣味もそれなりでしかなく、何かがいるのかな、みたいなことは言うが、確信を持って言っているわけでもなく、仮に本当に何かがいても、私にはわからないし、対処の仕方もない。

 

 

ただ、物の考え方のエッセンスとしては、積極的に取り入れてもいる。

 

よくない影響を持つ存在がもしそこにいるのなら、それは、我々がよくない波動を持っているから近づいてきたんだ、と言った感じだ。

 

つまり、我々が心の持ちようを改めない限り、そのような存在が近寄ってくることになる。だから、自分を見つめ直してみよう、という感じである。

 

これも、私が言い出すからいいのであって、本当にそういう力を持つ人が言ったら、ちょっと冗談では済まなくなる。0能力者だから出来ることだ。

 

 

特に、配偶者は喜怒哀楽全てにおいて、私より感情や思いが濃く、強いので、いわゆるマイナスの感情が内側で渦を巻いているときなどは、直球を回避しつつ気付いてもらうためのひとつの手段だ。

 

直球をぶつけようものなら、それこそポルターガイストだの自然発火現象だのが起きそうなので、怖くて出来ない。

 

 

ただし、猫達が目を見開いたまま一点を凝視し、後退りなんかを始めると、ちょっと、そんなふざけた会話も出来ない空気感が部屋を覆うのである。