伝えるのが下手、とか、思いが伝わってこないとか、ある種の人間は、よくそのような事を言われるんじゃないかと思います。
私はとことん、言われるタイプの人間でして、いわゆる配偶者にも定期的に言われるのですが、たぶん、腑に落ちていないんでしょうねぇ、なかなか治りません。
くわえて私の頭はどうやら、公私や家庭内外などの住み分けが出来るようには作られておらず、何事も同じような目線で、同じように考えてしまう。
これはあくまで見かた、捉え方の話なので、出す答えや結論の質は内容によって異なると思っています。
とはいえ、人間、時には理屈じゃなくて感情だ、というようなことも、「理屈としては」知っている、みたいな状態なので、どうしようもない偏屈おじさんなのでしょう。
おそらく私は、色々考えているように見せるのが得意なのであって、その実は、まるで虫かなにかのように、その時々に出会った事象に対して反応をしているだけとも思います。
遺伝子レベルで組み込まれている条件反射のプログラムがあり、そのプログラム通りに反応するだけ。その都度、学習をしているわけではない。
常にプログラムに沿った反応をするので、矛盾した反応はないし、どうしてそうしたか、の理由が一貫してもいるので、ブレブレな人間ではないかもしれません。
しかし、まわりが不満に思う反応、行動については、常に条件反射でプログラムされているように動くので、毎回、同じことで怒られる。
で、プログラムの中身なんですが、これも、自分の考え方なのかどこかで吹き込まれたのか、本当に遺伝子なのかわかりませんが、とにかく何かにより導かれている方程式に従っているので、時には理知的であり、時には無感情であり、と言った具合に、しっくりとした反応を示すことがないようです。
私の思考は、日頃の行動や行為の中に答えを見つけるようプログラムされています。一定の日時、場所で、イベントのように行われることよりも、日常の中に散りばめられた小さな思いや感情に反応するセンサーを持っています。
また、何か問題に直面した場合には、誰のせいでもない、運命とか、そういう風に考えるようプログラムされています。自分のせいですらなく、自分に課せられた何か、という感じの捉え方をします。
あ、自分が明らかに悪いことをした結果などであれば、その限りではありませんけども。
なので、幸いにも「なんで自分が」とか「いっつも自分が損している」とか、そういう方面には思考が向かないのは幸いです。
ともかく、こういった反応基準が、世間とは少しずれているかも知れず、ことに配偶者とはとことんずれているらしく、よく怒られるわけです。
ですが。
おそらく、世間では私の方が少数派で、誰かに怒られたことを聞かれでもしたら、その大半は、私に改善を求めるでしょう。
それでも、そんな自分だからこそ自分足り得るのだ、とか、よくわからない理屈で学ばない自分もいたりして、ようは本当に面倒くさいオジサンなのです。