Aというルールがあり、これは、こういう手順で、こうやる。
それが終わったら、Bというルールに従って、こういう手順に従ってやる。
それが終わったらCの…
業種によって内容は千差万別なわけだが、おおよそ、ルーティンの業務にはある程度、手順が定まっている。
ただ、そのルールが例え一挙手一投足を縛り付けるガチガチなルールだったとしても、人の心までは縛れない。
足の置き場所、手の角度、見つめる場所、それらが全て定められていても、心がどこをどう泳いでいるか、で、ミスの頻度は変わってくる。
「ながら作業」はそういうことで、視認していても、その視覚情報は脳まで届いておらず、解析、分析もされていないので、ミスを目視していながら、そのままスルーしてミスとなる。
現場の新人に、研修でそういった話もするが、結局、その時々での本人の心がけ次第で、いかにルールを守っていても、今日、帰宅した後のビールのことを考えながら仕事をされては、防げるミスも防げない。
ここを指導教育していくのは大変だ。
さて。
ルールだ規則だ、という話をするのも大切だが、そういう角度からもっと、浸透するように話をしていけないものか、と、考えながら、猫じゃらしをブンブンやって猫と戯れていたら、いわゆる配偶者から仕事の愚痴が滔々と流れ出てきた。
いわゆる配偶者の愚痴は、癖みたいなものなので、へーとか、ふーんとか言いながら聞いているのだが、今日は愚痴だけではなく、ミスが減らずに落ち込んでいるようだ。
変わらず、へーとかふーんとか言いながら聞いていたが、結局、私が新人に浸透させたい話そのもので、思いがけず、よいサンプルを発見した気分である。
とはいえ、いわゆる配偶者のおっちょこちょいは生粋で、私もおっちょこちょいの自覚があるが、彼女のそれには及ばないと思っている。
この手の人種は、ルールはしっかり守るし、真面目に仕事に取り組むのだが、ミスが出る。
原因は「おっちょこちょい」なわけだが、その「おっちょこちょい」を紐解かないとミスは減らず、となると、これはかなりの重作業になりそうである。
会社などでは、必ずしも「おっちょこちょい」だけが原因ではないので、それだけの労力を費やして「おっちょこちょい」を解明しても、ごく一部の人間にしか通用しない。
なので、結局はうまくかわそうと思っているのだが、ちゃんと話を聞かないとキレられるので、せめてその、一部の人に通用する何かを見出すべく、へーとかふーんとか言いながら、日々の話に付き合うことにする。
つまり、いつものこと、である。