今週のお題「夏物出し」
夏物、というと、まずは洋服が思い浮かぶ。
あとは、床のラグがゴザ(?)になっていたり、カーテンが涼し気なヒラヒラになっていたり。
まぁ、ここらへんは幼少の頃に、母親がマメにやっていたことで、自分ではそこまで細かくはやっていない。
なんせ、面倒くさがりなもんだから、何をするにもまずはその面倒を考え、場合によってやり方や使用方法を変え、場合によっては、やらない。
そもそも、こういう「夏物・冬物の入替え」自体が面倒のひとつなので、例えばラグは、猫の毛もつくし、いらんのじゃないか、とも思うのだが、 いわゆる配偶者に怒られるので、言わないでいる。
さすがに洋服については、冬物・夏物を切り替えないと、暑さ寒さで命に関わることになりかねない。 そして、一番「身近」なので、あぁ、夏物だなぁ、と、実感を持って味わうことが出来る。
さて。
私ぐらいのお年頃になると、率直に、夏服への切替というのは憂鬱である。
去年は一昨年より、今年は去年より、その憂鬱は大きくなっていく。なぜなら、夏服というのは基本的には冬物より薄く、身体の線が出やすいわけで。
ここまで書けばわかると思うが、ようは「おっさん腹」が成長していくに従って、勇気もより必要になる、というわけである。
特に、身体にピッタリとしたTシャツなど、着て表を歩く勇気は残念ながらない。
この体の肉々しさを存分に晒して歩けるほど、まだ私は様々な意味で諦めがついていないし、開き直りもできていない。
そしてなにより、そういうシャツは、たぶん、着たら脱げなくなる。無理をすれば、縫い目よりも生地から裂ける。
また、お肉のつき方もある時から変わり、全体的にお肉がつくならまだバランスがとれるだろうに、部分的に極端なので(つまり腹)、真後ろからの姿は普通、袖から伸びる腕も華奢なのだが、横に並ぶと、そのでっぱりは、やはり目立つ。だから、うかつに横を向けない。
正面からはどうかと言えば、逆光などでシルエットになっていれば問題ないが、そうでないと、お腹まわりにTシャツのシワが寄ってしまうので、立体的にお腹がアピールされてしまう。
形や由来は違えど、例えば妊娠されている方のお腹の場合は、それが立派な理由であるし、今後ずっとそうであるわけではないので、よい。
一方、おっさんのお腹というのは、自堕落とか、機能低下とか、そういう「不立派」な理由しかないので、敬遠しかされないのである。
そして、このお腹とサヨナラするには、相当の覚悟を持って「へこませる」か、病の末期になって骨と皮だけになるか、である。
この「相当の覚悟」というのは、当然ながら、肉々しくなってしまった自分を世間に晒す、という羞恥プレイも含まれる。
というわけで、夏物の洋服というものには、開放感と共に、重苦しい自虐的感覚もやってくる。
あぁ、追記で「不健康な青白い足を晒すことになる」というのも、付け加えておこう。
