例えば、今は昔となった感のある、終身雇用というのは、その雇用は会社が守っています。
なので、会社自体が倒れてしまえば、当然ですが、終身雇用は保たれません。それとも、転職先を斡旋してくれたりするのでしょうか。
公務員というのも、自治体や国があっての立場ですので、それら組織に何かがあった場合、職を失うリスクはあります。まぁ、日本では想像しにくいですが。
なので、生活とか、仕事とか、そういう類は100%の保証はなく、極端に言えば、皆が皆、今日を生きている、とも言えます。
また、そういった類を確保するために、会社に利益が上がり続けないといけないし、そのためには、そこに勤める自分の働きが必要になり、という風に辿っていき、場合によっては社畜が出来上がる。
そう考えると、どれだけ文明が発展、発達しても、人類はいまだ、原始時代以前と変わらない生活とも言えます。
そこらへんの石を削って棒の先にくっつけて槍にして、みんなでマンモスを追いかけ回していた頃です。
あ、実際はそこらへんの石、というわけじゃないでしょうけど。
マンモスを追いかけていた時代は、生活の保証はなかったでしょう。会社や国家というものが存在していませんし、ひとつの群れに属していれば、似たような形とも言えますが、マンモスに逃げられたら、とたんに群れまるごと飢えることになります。現代の保証よりも、かなり心細いものではあります。
朝起きて、仕事(狩猟)をして、寝る。
このルーティンは、昔も今も変わらない。
それでも今は、将来を夢見るとか、自己実現とか、そういうことが考えられるまでに刹那感は薄まっていますが、本質的には、明日どうなるかわからない、という意味では同じ。その確率の差でしかないのでしょう。
私は、今日も朝から、マンモスと闘いにいきます。
駅に向かう多くの人も、渋滞している車のドライバーも、みんな、マンモスを討ち取り、今日、明日の生活を確保するために歩を進めています。
バスの運転手も、乗客も。
お店の店員も、買い物客も。
現代の日本は、一時よりも「保証」が薄くなっている感があります。自己責任論というのも、今では当たり前に語られています。
ただ、マンモスが獲れなくて飢えるとか、そういう「わかりやすい」構図ではなく、よくわからないけど、いつの間にか困窮し、飢えている、みたいなところが、現代の複雑さですかね。