kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

はてなブログ「先週からのお題」

最近は、私に縁のないお題が続くなぁ。


もしも英語が使えたら。

というより、いまどきは、英語が使える人って、多いんじゃないのだろうか?なんか私の幼少時代にあったお題に見えてしまう。


個人的感覚としては「英語が喋れるのスゲー!」というよりも、「え?もしかして喋れないの?」という時代になっていると思いこんでいるが、どうなのだろう。


もちろん私は、日本国の土着民で、他国言語は一切喋れないし、読めない。

それでも、かろうじて生きている。


英語が使えたら、というのは、つまり読み書きや会話のことだと解釈しているが、もし自分が出来たら、と考えても「で?」っていう反応しか出来ない。

ブログでも散々書いてきたとおり、私は引きこもり体質、インドア、隠遁思考、保守的など、培った英語力を思いっきり無駄にするだろう方向に生きている。

英語がネイティブのように話せても、たぶん、家の中で、日本語で一人ブツブツ言っているのが関の山だ。

あ、たまに英語でブツブツ言って、一人で「フフッ」てなっているかもしれない。


ただし、私には妹がいるが、妹は留学経験があり、英会話もできる。今ではとんと英語力は駆使していないようだが、大学生時代は、留学生同士、世界各国に友達がいた印象だ。

まるで渋谷ハチ公前の感覚で、どこぞの国のなんとか空港で待ち合わせとかしていた。

どっかの国の友達から、でっかいピルケースみたいなものに入った多種のスパイスが届いたりしていた。見せてもらったが、私には全て「なんだカレーか」という感想しか出なかったが。


妹のそういう姿を見て感じたのは、英語力があると、とたんに世界が狭くなるんだなぁ、ということ。

私のような引きこもりには隣町でも大冒険だが、英語力がある人には、日本なんぞ窮屈なのかもしれない。


そんなわけで、なんか趣旨にそぐわない内容になってしまって申し訳ないのだが、年齢も年齢、性格も性格、ということで、私は多分、純粋日本人として生涯を終えると思っている。


#もしも英語が使えたら

#もしも英語が使えたら
by クリムゾンインタラクティブ・ジャパン