私のアイコンになってるドアップの猫。
「こてつ」と言う名前である。
いわゆる配偶者の一存で決めたので、私の意見は入っていない。
私は、猫や犬に限らず、名前をそのまま呼ぶことはあまりなく、フルネームでしっかり呼ぶのは叱る時ぐらいのものだ。
普段は、
「こて」
「こてすけ」
「こてとぅ」
「こてさん」
など、気ままに呼んでおり、猫のほうも、別にどうとでも呼んでくれていいけど遊んでよ、という態度である。
この間、いわゆる配偶者が、パソコンのユーザー名を設定するとかで、なんにするか考えていた。
いまさら感のある作業だし(買ったばかりではない)、意味を感じていなかったが、とりあえず、
「こてにしたら?」
と言ったら納得したらしく、こてつのフルネームがユーザー名になった。
その日の夜に、パソコンを使う用事があって立ち上げたのだが、名前が
「虎鉄」
になっていた。
え、そんなにゴツい名前だったの?
私が日頃呼ぶ幾つかの「こてつバリエーション」は、彼の性格や行動などから、私がイメージして呼んでいる。
つまり、私にとって彼は、けして「虎鉄」ではない。
こだわりになるが、「コテツ」や「コテ」でも、違うのである。平仮名がいちばんしっくり来るのだ。活字にするとわかりやすいが、これを、音声としてもニュアンスで表現していく必要がある。
私の好きな作家のエッセイか何かで、似たような話があった。
同じ言葉であっても、漢字で書く場合と、ひらがなで書く場合、みたいな話で、私としては非常に納得している。
若い頃は無駄に漢字で表現したがったが(今でもその癖はあるが)、あえてひらがなで書くことで、ニュアンスというか、読み手に与える印象を変えるのは大切だと思っている。
今、あえて最初に「平仮名」と書いていたものを「ひらがな」に変えてみたが、いかがだろう。この単語から、または文章から得られるニュアンスというのは、違ったものになると私は勝手に思っている。
話が逸れたが、そういう意味でも、我が家の猫は、
「こてつ」
であり、
「虎鉄」
ではないのである。