ウクライナが、かつてのソ連の中でも、重要な位置付けだったことは想像に難くない。
チェルノブイリ原発があり、核兵器が配備され、不凍港があったわけで、立地からも、今回の問題の発端となったように、西側陣営との最前線に位置している。
ソ連崩壊時には、戦闘機などの軍事兵器を多く引き継ぎ、世界第3位の核兵器保有国になったことから、瞬間的な軍事力はかなり高かったと聞く。
核兵器を手放した稀有の国であるが、代わりに得た安全保障というのは、たかだか数十年しか効果がなかった、ということか。
また、ウクライナが手放した未完の空母が、中国に買い取られ、現在の空母・遼寧となっているのも有名だ。
とはいえ、ソ連がウクライナに投下していた軍事資本が大きかったであろうことは、これらのことからも推測できる。
いずれにせよ、かつての与力国に攻撃を加えるサマは、見ていて気持ちのよいものではない。
朝の市場は買い物客で賑わっているが、夕方の市場に人影はない。なぜなら、そこに人々が求めるものがないからだ。市場に対して好悪の感情があるわけではない。
これは、古代中国の名宰相である、孟嘗君の逸話だったか。孟嘗君のもとを去った食客達がまた戻ってきた時に、自分が落ちぶれた際には見捨てたくせに、と怒りを露にしたが、それを諌めた言葉だ。
ウクライナをはじめとする旧ソ連を構成していた国や地域が、旧主を離れNATOに身を寄せるのも、そこにそれら国々が求めるものがなくなったからだ。
もし、旧主が旧悪を排し、新たに魅力的な政治をし、運営をしたのであれば、かつて程の結びつきではないにせよ、それらの国や地域は、NATO加盟を急ぐこともなかったのかもしれない。
もちろん、こんな単純な話ではないし、そもそもソ連時代から力によって屈服していたのかも知れず、一概に故事になぞらえて語ることは出来ないのかもしれない。
大国が崩壊する場合、軍事的な失敗がきっかけになることが多い。
私が度々、話に出す春秋時代も、時代の覇者がその地位を逐われる時は、だいたい、戦に負けた時だ。
負けなくとも、勝てなかっただけで、その威信は揺らぐ。見事に勝たなければならない。
今、攻め込んでいる側は、そのようなリスクも背負っている。そして、世間が予測した勝ち戦が、今は出来ていない現実がある。3日もあれば…という下馬評は、徹底抗戦により覆されつつある。
これだけでも、その威信は大きく損なわれただろう。
ここから威信をかけて勝ちを取りにきても、戦後、肩で息をしている状態では、今、与力している国々の離心を招く。
まして、軍事力が隔絶した相手に核を使おうものなら、明日を考える与力国も出てきかねないのではないか。
いずれに転んでも、よい結果が得られるようには見えず、大国が迷走を始めたように見えるのだが、どうなのだろう。