新道、新しい道の建設を見かけることがある。
都心部においても見かけることがあり、さすがに大通りを何キロにも渡って、というのはないが、数百メートルの新道であっちとこっちを接続し、バイパス効果を狙っているだろう工事はちょくちょく見かける。
少し郊外、ベッドタウンに出ると、新道の開発はやはりあるが、規模が大きくなり、けっこうな距離を、立派な複数車線道路が建設される。
朝の通勤ラッシュの混雑緩和などで、環状線だったり、放射状であったりし、街並みを無視して貫くので、中途半端な空き地が出来てしまったりしている。
私の住む場所の近くも、数年前に道が完成し、小川がせせらぐ閑静な住宅街だったが、川を挟んで各二車線の道路が走っており、かつての趣は消滅している。
道路の建設は、その都度、土地の買収があり、立ち退きがあり、建物の解体があり、せいぜい数十メートルだとしても、けっこうな労力だ。何キロにもなると、時間も相当にかかる。
さて。
必要だから作る、というのはわかる。
渋滞の緩和、移動距離、時間の短縮など、経済効果もあるだろう。
だが、日本はトップクラスの少子高齢化社会である。
既に人口は減少を始めていて、労働人口ともなると、その減少率は総人口よりも顕著だ。
となると、否応なく、経済活動としての自動車の動きは少なくなる。通勤人口も減少することになる。
「今」の需要で道路などのインフラを整備したら、将来、道が余るんじゃない?と思うわけだ。
家屋などは、空き家問題が発生していたりして、これは別の原因があるのかもしれないが(権利者が不明とか存在しないとか)、それにしても需要がなくなってしまった結果と考えれば、同じことが道路にも発生しうる。
道路は個人所有ではないので同様のことにはならないだろうが、代わりに、需要のない道路を維持していくため、我々の税金が使われることになる。
人口減少により税収は減り、道路は増えて維持費が嵩む。
今、必要なのはわかっている。
だから、文句も言えないのだが、将来を考えれば、店じまいならぬ「道路じまい」の方策も考えないと、都市集中型の人口分布がこのまま続けば、郊外には空き家と道路だけのゴーストタウンが出来上がり、その維持のために税金を払い続けることになる。
だからこそ、移民政策だ!と簡単に言えるほど、私の頭は柔らかくなく、心は保守的だ。島国根性、典型的なジャパニーズである。
個人的には、何度か話題に出している、自動運転車両が、この問題解決に一役買うと思っている。
高齢者にも安心して利用してもらえる交通インフラが整えば、人口の都市集中にも一定の歯止めがかけられるのでは、と思うし、そのぶん、郊外にも安心して住めるので、ゴーストタウンも減るだろうと思う。
また、人がいれば需要もあるので、商業なども興り、労働需要が発生し、労働人口も増える。
経済活動は活発になり、結果、道路が必要になる。
ま、そんな簡単な話じゃないんだろうけども、衰退していく日本で、今必要な道路を作って、一体どれほどの期間、その道路の存在価値があるのか。
そんなことが気になりながら、新道の工事現場を眺めている。