サイコロは投じられた。
出たサイコロの目を、いい大人があれこれ理由をつけて、都合よく読み解こうとしている。
ある一方は、事を始めるために言葉で脅し
ある一方は、始まらないように言葉で脅す。
場合によっては、あれ出すよ?という脅しに、同じ力を持つはずの大人が何人も竦み上がり、
その大人達が見ている目の前で、公然と「殴る蹴る」が行われている。
殴られている人は助けを求めるが、みんな、ケンカはやめろ、暴力反対と言うだけで、一方的な暴力ゲームは止まらない。
同じ欲、理想を持つ者は、殴られたヤツが悪いと理解を示し、
それを快く思わない者は、弱いもの苛めだと非難する。
でも、非難する方も、それが正義感からか、と言えば、そうじゃない。
本気のケンカはしたくないから、言うだけ。
ケガをしたくないから、言うだけ。
弱いもの苛めを、しないわけじゃぁない。
普段、平和な時には、えらそうに、耳障りのいい事を言っていても、いざ「そういう場面」になれば、こんなもんなんだ。
せいぜい、言葉をかけるだけ。
誰もがそう思っただろう。
世界の「スーパーパワー」が、揃って「弱いもの苛め」を見ているだけ。
理由はあるだろうよ。
理屈はあるだろうよ。
それぞれの正義が、あるのだろうよ。
国は、人を以て元となすと言う。
想像できるだろうか?
街の中、普段から見かける「普通の人」が、銃を背負っている姿を。
仕事着のまま、銃を構える姿を。
エプロンをしたまま、ライフル銃を背負う姿を。
明日は我が身の「のび太達」は、いよいよドラえもん探しを本格化させねばならない。
映画ではいいヤツを気取るが、普段は違う。
とにかく。
どういう形でもいいから、銃を下ろさせてあげてほしい。
命を、永らえてほしい。
言いたいのは、それだけなんだ。