kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

たまにする妄想の話。

たまに、自分が高齢者になった時のことを妄想する。きっかけは、夢でも見たんじゃなかったかと思うが、妙に頭についていて、ふとした時に思い出すのだ。

 

念のため、独りよがりな妄想なので、万一、不快感を感じる方がいらっしゃったら、お詫び申し上げます。

 

さて。

 

少子高齢化が進み、現在でも高齢化社会トップランナーである日本。街で見かける人の大半が高齢者という位置付けに、どんどん近づいている。

 

 

妄想の中に出てくるのは、高齢者タウンだ。

 

高齢者だけで街を作り、高齢者の、高齢者による、高齢者のための街である。

 

 

そこではまず、高齢者、という自身の立場の選り分けが必要ない。

 

なので、おそらく開放的な気分になるのか、この街の流行があったり、若い頃に夢中になっていたことに改めて没頭する人達が多くいる。

 

中心地を歩けばストリートミュージシャン、アーティストがいる。流行りのファッションがあり、人気のレストランなどがある。

レストランのシェフも当然、高齢者だし、そこに食材を卸している人達も高齢者だ。ストリートのアーティストも、ミュージシャンも、高齢者だ。

 

 

今、我々が住まう街と違うのは、高齢者が高齢者だけで生活や経済をまわすよう、ハイテク・最新の機器が至る所に導入されていることだ。自動運転車両の普及、様々な作業のサポートが出来る体装着型のパワーユニットなど。その開発のための研究なども、当然、高齢者が行っていると思われる。

 

そこは、非常に活気に溢れていて、楽しそうだ。現在のような定年制度などはなくなっているが、年齢を忘れて暮らすことができ、忘れていた夢を再び追いかける人、生涯現役でバリバリ働く人、昔ながらの高齢者生活を望んで実践する人など、皆、思い思いに生活している。

 

 

設定だと、ある程度の年齢で、その街に移住するかどうかを選択できる。

 

見方を変えれば、将来版・姥捨山のようにも思えるが、実はそこは、薄暗く何もない山の中ではなく、明るい日差しの降り注ぐ、笑いの絶えない桃源郷だった、という妄想。

 

 

もちろん、現実味を帯びてはいないし、直視しなければならないリアルも本来はあるので、これはあくまで妄想の話だ。

 

だが、もっと妄想し、深掘りし、より現実味を追及してみてもよいかな、とは思った。

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