kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

努力と言葉。

正月気分もいい加減やめにして、いよいよ一年をスタートさせねばならない。

 

今年はこれをやる、というのが幾つかあり、なおかつ達成しやすいように、私が嫌いな努力などは一切必要としないものばかりなので、淡々と事を進めていけばよいだけのことだ。

 

 

この年齢になると、゙案ずるより産むが易じというのを幾つかの実体験で知っていたりするので、不安や心配があろうとも、まずは動いてみる、ということの重要性も併せて知っているものだ。

 

先日のスキーはそんな思い切りの景気付けみたいなもので、全く想定していない出費で新年から真っ赤っ赤なスタートだが、こういうのも時には必要だろう(と都合よく解釈するからいつまでも金が貯まらない)。

 

 

一方で、私のブログを閲覧してくださる方々は、私が言うのもあれだが、努力家が多い。

 

私と同世代、または若いであろう方々はガンガンに努力している。目一杯やっている。

私より年上だと思われる方々は、博識で、芯がビシッと通っている。自信があり、余裕や貫禄がある。もし、今現在が悠々自適な生活なのであれば、過去の努力を物語るものであろうし、当然、今もなおその途上にいらっしゃる方もいるのだろう。

 

なぜこのような人たちが自分のブログを読むのか?という疑問は当然浮かぶ。

 

 

たまには私のこのような自堕落なブログを読むことで、上ばかりを見ずに自分を客観的に見つめられるとか、ゆるい文章を読んでホッと一息つくとか、そういう効能があるのかもしれない。

ならば私は、゙努力しで自堕落であろう、と思う次第である。

(お情けで付き合って頂いているとか、そういう解釈は切なくなるのでしません)

 

 

それらの方々のブログを読ませて頂いて感じること。

 

ブログにせよなんにせよ、語る、というのは、努力がないと出来ないのだなぁ、ということ。

 

書くことへの努力ではなく、何事かに努力しているからこそ湧いてくる言葉がある、ということだ。

 

 

私がすぐネタ切れになるのは、そこらへんにヒントがありそうだ。

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努力のイメージ。