子どもと、Switchで遊ぶ。
なんか、勉強系のゲームに付き合わされ、その中に「記憶力」を試すミニゲームがあった。
コップの中にボールを入れ、幾つかのコップを素早くシャッフルし、どのコップにボールが入っているかを当てるゲームで、世間では、どちらかというと手品でよく見るやつだ。ちゃんと目で追いかけていたはずなのに、開けたら入っていない。しまいにゃどれにも入っていない、みたいなあれだ。
で。
3つのボールを6つのコップでシャッフルされたら、もうダメだった。覚えきれないというか、ここでも顕著に感じたのが「体が拒否する」のである。記憶するのが面倒なのである。
少し前に視力のことを書いたが、まさに同じで、出来ないのではなく、やろうとしないのである。
やはり、老いは気力から始まるのではないか、と、しみじみ感じた。体の機能が追い付かなくなるのではなく、機能を精一杯、活用しようとする意欲、気力がまずなくなるのかもしれない。
なので、動くためには、機能を回復するための訓練よりも、その行動をするための気力を保つ訓練、もしくは動機付けこそが大切なのだと感じる。
逆に言えば、気力、意欲などがある人は、実年齢に関係なく元気なんじゃないかと考える。
今の自分は、災害の際にも、さっさと諦めてしまうんじゃないかという心配が出てきた。
これら気力を高めるには、目的が必要だ。
頑張りたい、やり遂げたいなど、何か一点集中での突破力を持つ目的が必要だ。
それを探すのが面倒くさいっていうこのフリダシに戻る感は、もう末期なのかなぁ。