kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

いたちごっこ。

いたちごっこ

 

元は子どもの遊びのひとつで、正式には「いたちごっこ、ねずみごっこ」というらしい。

 

手を順番に差し出していき、次の人は前の人の手の甲をつねり、その次の人は前の人の手の甲をつねり、参加している全員の手がふさがってしまったら、一番下の手から順に上に持っていき、前の人の手をつねる。

 

終わりがない遊びなので、そこから「終わらない」「埒が明かない」という意味に転じたのだとか。

 


まさに、新型コロナとの戦いは「いたちごっこ」だ。つねって済む子どもの遊びなら良いのだが、新型コロナの場合、その都度のダメージが大きすぎる。

本来であれば、その感染力や症状などを心配すべきなのに、同等もしくはそれ以上に、経済への打撃も心配になる。

 

ワクチンまでもがいたちごっこだ。
どこかの国では4回接種する話にもなっているようで、新株が来る度に改めてワクチンを、となってしまうと、一生、ワクチン接種が終わらなくなる。


かといって、あっさり「ウィズコロナ」と言ってしまうと、これは「共存」「新しい形」なのか、「屈服」「諦め」なのか、よくわからなくなる。

 


ともあれ、また新株が狙ったように大型連休前に上陸し、狙ったように勢力を拡大している。

 

急ではあるが、クリスマスから緊急事態宣言が発出されても、おかしくはないと考えてしまう。

 

あと数日の感染拡大状況と、過去の五波にも及ぶ感染爆発の経験から学ぶのであれば、予防的措置も踏まえて、そのような超法規的措置も、見えてきそうだ。

 

まぁ、ここは今の政権、政治家、お偉方がどちらの方向を向いているかなので、実際にクリスマス、ということはないとは思うが。

 


それにしても、初めて日本に新型コロナが上陸した、あの時の空気感を思い出してしまう。
「来るの?来ちゃうの?」という心配、「あ、ついに日本にも来た」という戦慄、そして次に来たのは、爆発的な感染拡大。
第五波が終息に近い形で落ち着いていたので、かえってあの頃の初々しい感覚がよみがえってしまう。


この年末年始、日本全国で「緊急事態宣言」も「蔓延防止条例」も発出されていない大型連休は、いつぶりだろうか。
久しぶりの「以前の日常に近い形での連休」も、あっという間に風前の灯にされてしまった。

 


「今のうちに出掛けまくってやる」のか、「少しでも被害を食い止めるため、自主的に外出規制する」のか。
「もう休業はしない」のか「休業して被害拡大を抑える」と考えるのか、は、各個人の判断に委ねられている。(休業しないと拡大する、という意味でとらえるのもまた語弊があると思うが)


さて、私はどちらにしようか。

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せめて絵はほんわかと。