占いとか、手相とか姓名判断とか、お金を払ってしっかりとやってもらったことはありません。
ネット上で無料のだったり、何か買った時に一緒についてきたソフトだったりで、自宅で一人でやってみた程度です。
神秘的な要素を必要とする占いはあれですが、手相というのは、少し、理解が及ぶ気がします。
生き方が顔に出る、みたいなやつかなと。
これまでの生き様がシワなどで掌に刻まれていき、そこから見える私の性分などが、将来を見るのに参考になるのだろうなぁ、とか。
そういう意味では、手相というのは統計学なんですかね。生命線が長くて長生き、というのは、過去にそういう人が多かった、ということなのでしょう。
てことは、姓名判断もそうなるんですかね。その漢字を持つには持つなりの由来があり、そこに統計がある、みたいな。
さて。
大抵の占いとか姓名判断とかにおいて、私は二つほど、晩年のパターンが決まっています。
無料の占いとはいえ、複数の診断で同じことを言われるってのは、その占いが誰に対しても同じことを言っているか、適当を言うにしても適当なりの法則があるとか(それはそれでひとつの確立された何かのような気がするが)、まぁとにかく、かえって信憑性が増してしまうんじゃないか、という罠。
私の晩年。
その①:お金に困らない
どこからこの情報が読み取れるのかはわからんのですが、なんか、そんな感じらしいです。金持ちって意味ではなく、困窮することはない、という程度。
まだ現在の私は晩年ではない(はず)ので、今はお金に困っていても外れではないのですが、今も別に困りたくないんだけどなぁ…。
そんな私なわけで、今後の私の生活を予測するに、とてもお金に困らない生活が待っているとは…。
だから急に家計とかを見直したりワタワタやっているわけですがね。
その②:寂しい(孤独)晩年
まぁ、これは、なきにしもあらずかな、と思っていたりはします。
なんせ人付き合いが不得手というか、性に合わないというか。仕事しなくなったら、果たして年間どれ程の人と関わっていくのか、自でも途方にくれます。
なので、例えば離婚とか、そういうような話があってもおかしくないんじゃないか、と。
ブログでもわかる通り、ああだのこうだの理屈ばっかり一人前で…みたいな性格なので、いわゆる愛想を尽かされるってやつですか。
そんな自分、ありうる、と思うわけです。
自分探しや人生設計において、こういう情報に頼りすぎるのはよろしくないとは思います。あくまで主は自分の意思ですし、見た目がとっても不幸でも、本人はとても幸せということもありますからね。
占い結果は、取り入れるにしてもエッセンス程度。そして、結果をそのまま受け取るというより、「なぜ今の自分にその結果なんだ?」という、その結果がかえってきた意味を探す事こそ、大事かもしれません。
いずれにせよ、「なんとか生活はしていけるけど、贅沢はとても出来ない、近所付き合いの全くない独居老人」という将来像は、総合的にはあまり望ましくないですね。
近隣で、名物ジイサンとして有名になりそうです。