kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

とある漫画。

とある漫画が好きでした。

 

もはや連載しているのかどうかもわからない。というか、もうしていないと思います。
私が小学生の頃からあった漫画ですからね。作者ももういい歳でしょう。


その漫画は、一見、子ども向けの漫画に見えます。実際、子ども向けにアニメ化したこともありますし、アニメ映画化もしています。

 

ですが、原作はとても深くて、濃くて、人が抱く疑問や悩みを、主人公のラッコや親友のシマリスが、悩み深い大人と絡みながら、なんとなく答えに導かれていく、というスタイル。

 

子どもらしい小さな疑問だと「傷が治る所が見れた」というささやかな喜びがあったり、お父さんはどうしてお父さんなのか、という問いに立ち向かったりしています。

 


私は小学生の時に、たまたま本屋で立ち読みしたことで出会ったのですが、初めて「同じことを考える人がいるんだ」と、実感できた漫画です。

 


”自分以外の人は本当に生きているのか”
”みんなが自分を騙しているんじゃないか”

 

誰しも主観で生きています。私が今見ている景色を誰かが見ることは出来ないですし、誰とも接していない時間の私のことは、私にしかわからない。
それを他人に当てはめてみると、じゃぁその人は本当に生物として、人として生きているのか?と考えると、私から、確実に生きている!とは言えなくなります。

 

また、人の頭の中は読むことが出来ません。
もしかして、みんな口裏を合わせたうえで自分に接していて、その事実を知らないのは自分だけなんじゃないか。

 

これら2テーマがコラボすると、親も友達も、皆ほんとうは別の生き物で、着ぐるみを来てそれぞれの役割を演じ、自分を騙しているのかも知れない。


なぜ、皆で自分を騙すのか?

なぜ、自分だけが皆と違うのか?

そんな恐怖に震えるお話。

 


”自分が見ていない時の景色は一体どうなっているのか”

 

例えば歩いていても、自分が通過した後の「その場所の景色」というのは見えません。
まして、帰宅してしまえば、歩いてきた景色、全てが見えません。

 

自分が見ていないのに、それらの景色は、その景色のままでいるのだろうか?自分に見られていないのだから、実はちょっとサボってたりするんじゃないだろうか?(漫画では、黒塗り・ぐにゃぐにゃで表現されていた)


これが高じて「お父さんの"見えない部分(例えば正面から相対している時の背中)"は、今、サボっているんじゃないか」という疑問にまで至り、それをお父さんに正すことになります。

「お父さんはサボってなんかいないよ!」と叱られ、その疑念を吹っ飛ばされるというお話。

 

その他、主人公ラッコ達がチョロチョロしている横で、人情とか大人の理屈で色々といがみあったり、諦めたり、別れたり、傷つけあったり、認め合ったり…が大人達の間で繰り広げられる。

 


読み始めた当時から、子どもが読む本じゃないと思っていました。
でも、そういう世の中や大人のしがらみにも、主人公ラッコは純粋な子どものままの視点で見つめ、悩み、その言動が、大人達に気付きを与えていく(だからといって大人達が変わるわけじゃないところがまたこの漫画らしいが)。

 

確か、連載していた雑誌も、子どもが読むような雑誌ではなく、それどころか、ある程度、年齢層が高めの方々が読むような雑誌だったと記憶しています。

やくみつる氏が野球四コマを連載していて、よくパロっていました。

 


私の中で、かゆい所に手が届く漫画だったと思います。


また、まがりなりにも大人の一人である作者が、こんな疑問を持って、しかもそれをオープンに晒しているなんて、という、感動にも似た衝撃を受けた記憶があります。

 

他の作品も読みたくなって、ある時に色々と探しましたが、その他の作品は、大人向けで子ども向け要素が一切ない、シュールではあるものの、ある程度の人生経験を経た大人じゃないとわからないような内容でした。

 


さて、ある程度ヒントを散りばめてみましたが、おわかりになったでしょうか。


おそらく、1980年代後半ぐらいには連載が始まっていると思います。

 

私にとっては、バイブルに近い漫画であります。


あ、アニメなどのメディア版は完全に子ども向けになってしまっているので、本物の世界観を感じるためには、原作を読むべきかと考えます。参考までに。

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このラッコは、いらすとやさんです。