宋襄の仁、という言葉がある。
無用の情けとか、君子気取りで身を滅ぼすとか、そんな感じの意味で、けしてよい言葉ではないと思うが、日本人というのは、意外とこの言葉がしっくり来るような気が、個人的にはしている。
悪い意味で使えば、格式やルール・マナーにこだわりすぎて新しいものを受け付けないとか、グローバル化が苦手、改革を嫌うタイプと言える。
一方で、そんなこだわりが、有数の文化を保ち、気が遠くなるほどの「老舗」を守り続け、諸外国から称賛を受けたりしている、とも思う。
鎌倉武士の時代にも、名乗りをあげて一騎討ち、という様式があり、いざ元寇緒戦では、元の集団戦法に、前に名乗り出た武将が討ち取られまくった、と何かで読んだことがあるが、これもなんとなく、そんな日本人の気風を思わせたりする。
また、宋襄とは、宋国の襄公という意味だが、この宋の国は、まさに宋襄が生きている時代の王朝である、周王朝の前に栄えた、殷、あるいは商王朝の末裔の国だ。
衰えてなお、死活となっている戦場で、現実離れした仁義を見せ、あげくに敗戦している宋襄は、果たして無能なだけだったのか、それとも、商の末裔として、捨て切れないプライドや格式、滅びてもなお捨てられない何かがあったのか。
そして、どこか滅びの美学のようなものがあるように感じてならないし、日本人にもそれがあるような気がしている。
判官贔屓というのもそれだし、強者が力のまま弱者を踏みにじることを、あまり好まないように思う。
現代でも、そのようなやり方はあまり好まれないと感じるし、それがため、様々な「ちいさな出来事」をピックアップすれば、日本には多くの宋襄が、毎日のように仁を振りまいていると思う。
そんなわけで、あまりよい言葉ではないのだろうけども、勝手に親近感が湧いている、宋襄のお話でした。