kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

老いと通勤電車。

通勤途中、お年寄りが電車に乗ろうとしていたのです。

 

勝手に評価して申し訳ないのですが、かなり足腰には衰えが見える感じです。


電車がきて皆が乗り込みますが、どうしてもそのお年寄りだけ、極端に遅い。

そして、手すりがないと段差を乗り越えるのが危ないようで、車体に手をついて、よっこいしょと片足を上げて乗り込み、もう一方の足を引っ張りあげ、両足とも乗り込んだら、引いていたカートを両手で掴んで引っ張りあげるつもりなのでしょう。

 

予測のように書いたのは、車体に手をついて片足が車両に乗ったぐらいで、後から乗り込もうとしていたお客さんが手伝ってくれたので、実際はもっとすんなりと乗り込めたからです。


そんな情景を、幾つか向こうのドア付近から見ていたのですが。


ふと、思ったんですね。

この方、降りる時は大丈夫なのだろうか、と。

 

この方が乗り込んだドア付近では、お手伝いしたお客さんとお年寄りの間で、ありがとうございます、とか、よかったですね、とか、そういう風景がその後も展開されます。

 

そこまでの景色を見ていれば、まず、席を譲る方が現れます。

いえいえそんなお気になさらずに、と言うよりも早く、手伝ってくれた乗客からも、ご厚意を受けるよう勧められます。

 

そこまではいいんです。

 

目的の駅に近づき、早めに降りる準備を始めたとしても、おそらく、走行中の電車内の揺れに耐えられる足腰ではないので、立ち上がることはできない。
必然的に、電車が目的地に止まってから立ち上がり、歩き出すことになりますが、おそらくそれだと、道半ばでドアは閉まってしまう。なんせ、通勤電車です。人を掻き分ける動作も必要になります。

 

途中でそれを察知したまわりの乗客が、ドアが閉まってしまわないように体半分をドアから乗り出すなどして、ドアが閉まらないよう道は確保してくれるのではないかと思いますが、それって、道を確保した乗客が、事情を知らない他車両の方や車掌さん、駅員さんから非難されることにならないか。

 

ドライな言い方をしてしまえば、そのことで、僅かながらでも出発が遅延するわけで、場合によってはお年寄りもろとも、白い視線を浴びることにならないか。

 

そんなことを考えておりましたが、結局、私の方が先に降りたので、その後のことはわからず仕舞いです。

 


誰にでもやってくる「老い」というものなので、当然ですが、だから電車に乗るな、ということが言いたいわけではありません。

 

それに、事前に駅員さんにお伝えしておけば、乗るときはもちろん、降車駅でも駅員さんがサポートしてくれるでしょうから、そもそもこのような心配は要らなくなります。

 

ただし、サポートを得るためにはまず申告が必要なわけで、申告をするにはその前提として「自覚」が必要になります。

 

率直に言わせて頂ければ、そのお年寄りには、通勤時間帯の混雑する通勤電車にすんなりと乗れる程の体力、身体能力は有していなかったと思います。

ですから、ここは駅員さんのサポートを得ることが、自他ともに一番スムーズな手段だと思うのですが、本人に自覚がなかったのか、それとも、遠慮する気持ちが働いて自力でなんとかしようと思っていたのか。いずれにせよ、まわりに何らかの影響を与えてしまうことになった。


これ以上の踏み込みは、話が思いがけない方向に行ってしまいそうなのでやめますが、自分がそうなった時、ちゃんと自覚が持てるのだろうか。

 

そんなことを考えさせられる一件でした。

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