今週のお題「赤いもの」
赤いもの、か。思ったよりピンとこない。
季節柄として代表格は紅葉だ。
だが、紅葉について語るには、自分はあまりに風情や情緒への理解がなく、また知識もない。
紅葉については、造詣の深い他の方が見事に語ってくれるであろうと思うし、ここは競合を避けるのが賢明である。
そんなわけで、風情や情緒とは無縁の、身の回りの「赤」を語っていこうと思う。
①消火器
いきなり無粋で申し訳ないが、まず頭に浮かんだのが、消火器だ。
だが。
最近の消火器は、さりげなくお洒落なものが増えたのには、お気付きだろうか。
ワインレッド、深みのある赤でほどよくラメっており、落ち着きがある。形もボンベ然としておらず、なんというか、ポットのような形状である。
昔の、いかにも「緊急です!」みたいな赤でなく、実用性のみを追求した無粋な姿ではない。
いざ使おう!となった時に、あ、なんか汚したら悪いな、みたいな遠慮がよぎる、そんな一品である。
②マツダレッド
次に赤、といえば、これ。マツダレッドだろう。
ご存知ない方にお教えしよう(自分も調べながらだけど)。
マツダというのは自動車メーカーで、マツダレッドと言えば、そのマツダ車両のボディカラーのひとつである。
ちなみに私はマツダ車に乗ってはいないのだが、だからこそマツダレッドの色味の良さには惹かれる。
色の名称としては、ソウルレッド・プレミアム・メタリックと言うらしい。これは他の赤とは違う、質感の高い赤なのだ。元はモーターショー等に展示する車両用と聞いている。だからこそあんなに際立った質感なんだろう。
塗装はなんと13層も赤を塗り重ねることによって、その深みを演出している。その赤も、微妙に違う赤塗料を幾つも作り、重ねている。
なので、見る角度などにより、その輝きには変化があり、他の赤とは、明らかに違う深みと上質感がある。
マツダのウェブサイトを見てみるといい。マツダレッドの車がずらりと…
あれ、今はブラック推しなのかな。
③郵便ポスト
はい、身近な「赤の代名詞」こと、郵便ポスト。
少し前、郵便を出す必要があってポストを使用したのだが、思ったほど、近所にないものだということがわかった。
どこでも見かける、景色と一体化するランキング上位に位置する物と思っていただけに、意外であった。
まず、近くにポスト…と、頭の中で検索しても出てこないものだ。
あまりに景色に溶け込んでいて、かえって記憶に残らないものなんだろうな、と思い、適当に近所の「それっぽい場所」をウロウロしたのだが、結局見つからずに30分ぐらい近所をうろつく羽目になった。あげくにスマホでポストを検索してやっと見つけた有り様だった。
結局、記憶に残らないんじゃなくて、実際に「なかった」ということだ。
調べてみると、やはり郵便ポストの設置数は年々減っている。切手販売数も減っているようだし、電子メールや運送会社のメール便事業などで、シェアは徐々に縮小傾向にありそうだ。
もしかしたら、私が探した「それっぽい場所」も、昔は設置されていたのかもしれない。
地元の街道沿いや辻など、昔から人が自然と集まる場所、行き交う場所にあるものだ、と勝手に思い込んでいたが、やはり諸行無常、不変のものはない、ということだ。
まして、私などは郵便ポストを数年単位で使用しない。前回から次に使用するまでに、設置場所の改編があっても当然のことだろう。
④クリスマス
サンタクロースのコスチュームに代表される、赤。クリスマスといえば、赤・緑・白。
いい組み合わせだと思うのだが、これは、組み合わせがいいからなのか、クリスマスの色だからよく見えるのか、自分でもよくわからなくなっている。
少なくとも、今の時期にこの色の組み合わせでコーディネートして出かければ、気が早いとか、もう浮かれているとか、そんな陰口を叩かれかねないほど、クリスマスカラーとして確固たるポジションを築いている。
ちなみに子どもの頃の我が家は、仏教徒だから、という理由で、一度もサンタが来なかったどころか、当て付けのようにクリスマス当日は夕飯が焼き魚定食だったりした。
そのせいで、実はクリスマスを祝う、というのが苦手で、自分の中で、クリスマスを特別な日とすることを心が拒んでしまう時期が長く続いた。
だが、青春真っ只中のクリスマスイブ、彼女にフラれた先輩に一晩付き合わされたファミレスはつらかった。男2人でファミレス、というのもイタかったが、クリスマスイブに、彼女への文句と未練を延々と聞かされるのは、拷問に近かった。
でも。
つらいということは、結局、クリスマスを特別な日と自分が認識していることの裏返しである、と気付いた。
それ以降、クリスマスはクリスマスなのだ、という、とりあえずなんか特別感のある日として、受け入れることができた。
ありがとう、先輩。
⑤赤字
ネタ、というわけではない。私の身近な単語、赤字。
支出が収入を上回る場合、その超過分を赤色で記したことから赤字と呼ぶらしい。今でも赤で表記されることは多いので、由来がそのまま文化として残っているのはわかりやすくてよい。
で、私にとっての赤字だが、私の無計画、無秩序な金銭感覚がいけないということはあるものの、我が家の赤字の発端は、手取りが減った、というのが、最も大きな要素である。
ここで、コロナ禍による仕事の減少とかそういう話であれば、それなりに説得力のある話になるのだが、残念ながらコロナ禍とは関係のないところで手取りが減ったという、なんとも情けない話だ。
外の営業所で、一定の責任者という立場で勤務していたが、コロナと共に異動となった。本社勤務という形にはなったものの、異動前から等級は変わらず、各種手当は全て剥ぎ取られ、内勤職なので残業も減り、手取りが数万円単位で減ってしまったのが始まりである。
さらに、いわゆる配偶者が当時、飲食業に携わっていたが、こちらはコロナ禍をモロにかぶり、閉店や雇い止めで収入が半減した。
そんなわけで、収入が半減まではいかずとも、ゆうに2桁は減少したのがケッテイテキな理由である。
そんなわけで、慌てて家計を見直しているところであるのは、僭越ながら、私の過去記事を見て頂ければと思う。
というわけで。
ほとんどが赤に関係ない話になってしまったが、私のまわりの赤い物事について書いてみた。
他にも、網に乗せる前の生肉の赤とか、最近めっきり鼻血がでなくなったとか、そんな話も思いついたが、これらもほぼ、赤というテーマから話が逸れていくと思うので、ここでは割愛をさせて頂く。