kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

カテゴライズ。

ん?

 

 

 


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…ん!?

 

 


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!!!

 

 

ま、学び!?

私の、屁理屈をこねくりまわしたようなブログが、学び!?

 

いかん。それはいかん。

うかつにもこの「学び」を信じて記事閲覧に至った方々に、多大なるご迷惑をおかけしてしまうではないか。

 

慌てて他の記事を確認してみれば、他の記事でも「学び」になっている記事があるではないか。

 

keke.jp

 

keke.jp

 

と、いうわけで。

この1週間で、学びにカテゴライズされた記事。その他の記事の「暮らし」とか「世の中」というカテゴライズも、私自身としては非常に腑に落ちないが、とりあえず、1週間7日間の中で、学びとされたのはこの2記事だ。

 

 

なぜ、この2記事が「学び」とされたのか。その決定打はなんなのか。

 

まずわかるのは、記事中に「学び」に通ずる単語が含まれることだ。

・昨日の反省…物理、理系

・無趣味の利…勉強、科学

 

人が直接読んで判断しているわけではないだろう。とはいえ、さすがに最新のAIを用いて、というわけでもないだろうから、単純に考えれば特定の単語を拾っていると考えるのが妥当だ。しかし、これだけで学びにカテゴライズしてしまうのは、いささか危険ではないだろうか。私の記事なんかはまさにそうで、話題の中に出てくる単語であり、けしてそのものを主題に書かれているわけではない。

 

他に共通するものはないか、と探したのだが、とりあえず見つけたのは1つ。

この2記事について共通で言えることは「自虐」ではないか。

 

昨日の反省…酔っぱらって記事をあげたことへの反省と言い訳

無趣味の利…無趣味であることを屁理屈こねて前向きにとらえようとしている

 

ただし、自虐というものは単語などで拾い上げるには難しく、文章全体の意味合いを把握してはじめて感じることが出来るものだ。つまり、単純なワード検索では成し得ない。ディープラーニングを繰り返したベテランAIでないと、これは難しいと思われる。

 

私はAIのことは全くの無知なのだが、AIを搭載するには、果たしてどれほどのコストがかかるのか。また、私の文章を「読んで」、それが「自虐だ」と判断できるほどのスキルを持つAIというのが、どれほどの位置づけになるのか。あまたのブログが登録されているとはいえ、その選別のためにAIを導入して、採算はとれるのか。

というか、私の記事を「学び」とする判断で、運営として問題はないのか。

 

まぁいい。仮に、AIであったとしよう。

 

では、その優秀なAIは、どういう理由で「自虐=学び」としたのか。

確かに、失敗や挫折、思い悩むことなどは、自身の成長につながることが多い。だが、失敗や挫折は自虐とイコールではないし、自虐がそのまま成長につながるかと言えば、そうではないだろう。一般的に「自虐=自己啓発」といった捉え方はないような気がする。

それに、自虐癖というものが世の中にはあり、そういう癖の人は自虐することが趣味のようなものなので、そこに学びがあるわけではない。

 

ここで、発想を変えてみる。

 

私が、学びに通ずるような単語を用いる時は自虐ネタになる、ということだ。

けして意識して書いてはいないが、これは一理あると思われる。

 

無趣味の利、で書いたが、私の勉強嫌いは筋金入りである。

会社に強制されている通信教育の、ペラペラなテキストを数か月かけてやる、というものでさえ、何度、やり切れずに終わったか。本気を出すと、数時間程度で終わるものだ。

 

こんな私なので、学びとか、学問とか、資格とか、スキルとか、学歴とか、そういった話題を記事にする時は、おそらく無意識に自虐的になるということは、想像できる。

 

だから、私の自虐的な文章には、学びに通ずる単語が多く含まれる可能性が高い、ということだ。

ということは、これら記事を「学び」にカテゴライズしたのは、遠回しに、私自身であるわけだ。

 

そんなわけで、私の劣等感まみれな文章が、学びというカテゴリに自身を結びつけたという結論に至ってしまった。

一応、カテゴリを変更する異議申立て(?)フォームを見つけたのだが、とはいえ、なんかそこまでするのもまた大人げない気がする。

 

もし、カテゴリに騙され私の記事を読んだ方から、ふざけんなとクレームを頂くようなら申請してみようと思う。