趣味がないことの利点。
それは、趣味に割くお金が不要であること。
そして、その時々に興味がある、または湧くものに、節操なくフラフラと近づいていける、というのがある。
趣味にお金をかけずに済む、というのは、利点と言うには悲しい内容ではあるものの、私なんぞは、趣味にかけるお金がないような生活なので、むしろこれで趣味があったら、やりたいのにやれない、という、悶々とした日々を過ごしたことだろう。
そういう意味では、利点である。
無趣味といっても、全く何にも興味がなく、自宅にこもって壁の一点を見つめている、とか、そういうわけではない。
余裕があれば手を出してみるかもしれないことは、興味本位レベルであれば、けっこうあると思う。
いや、もしかしたら、お金がないから、時間がないから、が起点で、だから外側から軽く眺める、に留まっている癖がついてしまったのかもしれない。
理性的に考えるのなら、この無駄な時間は勉強にあてるなどすると、非常に有意義だ。お金の対策にもつながってくる。
わかっていながら取り組まないのは、つまりやる気がないのだろう。私の勉強嫌いは、我ながら筋金入りだ。
だから、というわけではないが、少しでも興味を持つと、それが発作的であったにせよ、ちょっと調べてみたり、覗きに行ったりはよくする。
今はネットやYouTubeなんかで、気軽に「どんなものか」、覗いてみることが出来る。
そんなわけで、私のYouTube視聴は、一貫性がない。だが、単なる暇潰しの「流し見」のように見えて、全ては私が「少しでも興味がある」ことなのだ。ゆとりがあるなら、これら視聴チャンネルの中から手を伸ばす可能性が非常に高いと言えるだろう。
例えば、ルーティンで見ているチャンネルでは(規約とか面倒なのでリンクは貼らないが)、
・自動車整備系
・運転風景系
・政治系
・経済活動系
・投資系
・科学系
・DIYガチ系
・園芸系
・ゲーム実況系
・楽器系
とあり、それぞれ複数チャンネルを視聴している。
その他にも、お勧めで上がってきて、おっ、と思えば視聴し、それが継続することも多々ある。そんな中には、
・プロレス系
・事件簿系
などがある。
こうして羅列してみると、自分で言うのもあれだが、本当、「なんでも興味あるけれど、全部人任せ」である。
やっているのを、語っているのを聞くだけ、見るだけの生活である。
ここまでくると、つまりYouTube視聴が趣味なんだろう、と思いがちだが、一概にそうではないと、自分は思っている。
お金がないとか、時間がないとか、そういう理由はあるにせよ、実は最も必要な要素は、子どもの頃のようなワクワク感であろうと思う。
子どもの頃は、玩具のひとつでも購入すれば、すぐに帰りたい、早く開けたい、早く遊びたい、と思ったものだ。購入した後のついでの買い物が煩わしくて仕方なかった(親からすればそちらがメインだが)。
だが、今はどうだろうか。
仮に欲しかったものを購入しても、
「時間がしっかり作れる週末に開けよう」
「今日は夜更かしできないから明日にしよう」
など、購入したその日は触らない、という芸当が出来てしまう。
場合によっては、それで開けないままけっこうな時間が経ってしまい、興味そのものを忘れてしまっていることすらある。
そんなアイテムを掃除などで掘り起こした時、ワクワクは当然するが、どこか自分の「若気の至り」を見せつけられたようで、やや黒歴史的な感覚に陥る。
話が逸れた。
なので、YouTube視聴というのは、そんな「大人になってしまった自分の興味」を満足させるには丁度いい存在であると思うのだ。
一方で、YouTubeをきっかけに始める、という「導入」に一役買っているだろうこともわかる。大人になったはずの興味が、若い頃の情熱を甦らせるきっかけになるぐらいには、YouTubeは刺激的であるのも確かだ。
自分はもしかしたら、そんな、大人になってしまった「興味」を蹴散らしてくれるほどの刺激を、YouTube内で得るために徘徊しているのかもしれない。
なんだか、YouTube絶賛みたいな記事になってしまったが、無趣味はけして無趣味なのではなく、お金も時間も関係なく、ただただ、子どもじみた情熱を傾けられるほどの「何か」に、出会えていないだけなのだと思う。
カメラもやってみたい。
CGグラフィックとかも作れたらすごい。
また楽器に触りたい。
趣味としての車がほしい。
ほんと、真面目にコツコツ貯金していればなぁ、からの妄想話。