今の時代、テレビゲームは1日30分とか、そういうルールはあるんでしょうか。
私世代の方なら、家にファミコンなどのテレビゲームがあれば大半の人が言われて育ったワードだと思います。
そんな「ファミコン用語」に、ゲームをやること、つまりファミコンで遊ぶことを「ピコピコする」というのがあったのですが、これはローカルなんでしょうかね。
あまり良い意味としては使われません。
たいていは親などが、「いつまでもピコピコやってんじゃねぇ」とか「ピコピコうるさい!」とか、邪険にされる時がほとんどでした。
最近、そんな事を思い出しつつ、YouTubeでファミコンゲームのプレイ動画を見る事があります。レトロゲームってやつですね。
当時の大人からは「ピコピコ」と一括りにされていたファミコンの音ですが、音楽自体は、かなり凝っているものばかりですね。
けっこう果敢に、いろんなジャンルの音楽を使用しているように感じます。
もちろん、作曲家がいて、作品にあった曲を作っているのでしょうから、当然と言えば当然です。
その最高峰にいらっしゃったのが、故・すぎやまこういち氏でしょう。あの「ドラゴンクエスト」の音楽は、まさに「ピコピコ」の時代に生まれましたからね。ご冥福をお祈り致します。
最終的に落とし込むプラットフォームが「ピコピコ音」というのは、当時の作曲家の方々は、どう思ったのでしょう。トラック数(重ねられる音数)も制約がある中で、率直に言えば、音色・音数という意味では、原曲の半分も再現できていないと思います。
なのに、です。
ファミコンのBGMは、クオリティが高い。
今のゲームのクオリティが低い、と言っているわけではありません。
ただ、今はとてもリアルなサウンドが幾らでも表現出来ますが、当時は「ピコピコ」です。ピコピコに果敢に挑むモチベーションというのは、どういうものなんだろう、と思ったわけです。
ただ、ピコピコゆえのよさもあります。
音数・音色とも限られているので、ひとつひとつの音は、聴き手にとっても非常に拾いやすい。
なので、こうして改めて聴くと、あぁ、こういうジャンルにしたかったんだぁ、とか、このベースラインやべぇ、とか、そういうのが見えてきて、狭い範囲で精一杯暴れているサウンドに、どこか、作り手の楽しさを感じてしまいます。
結局、作曲家はちっともモチベーション低くなかったっつうわけですな。
ところで、ここまでくると、原曲をリアルなサウンドで聴きたい、という思いがムラッと湧きあがってくるのですが。
たぶん、この音のまま、ピコピコのままが一番よいんじゃないかな。
なんせ、こどもの頃の思い出も詰まってますからね。