kekeの考えること

こういうことを考えてる人もいるんだなぁ

自分なりのブログの書き方。

ブログというのは、常に読み手を意識して書き、常に読み続けてくれる人を探す。

そういうものだと、私は思っています。

 

なので、面白いだろうと思う話を、より面白く感じてもらえるように書く。時には盛ってしまうこともあるかもしれない。

 

面白い、にも種類があるので、どのように面白くしたいのか、を自分なりに想定し、その方向にブーストしていく。

 

単純に笑える話は「面白い」です。

雑学てんこ盛りも「面白い」です。

深イイ話も「面白い」と表現します。

 

笑えるの中にも、単純明快、お笑いのボケやオチのようにゲラゲラ笑える話。

ちゃんと話の意図するところを汲み取ると、ふふっと笑いたくなる話。

バナナの皮を踏んで滑ってしまった話。

転ばせてやろうと意図的にバナナの皮を置いて、転ぶ人を指差してゲラゲラ笑うような人の話。

 

面白い、にも、たくさんの要素があるものですね。

 

さて。

 

当然ですが、私は、自分のブログが面白いと思って書いています。

ただ、書いていると、だいたい自分が想定している面白い、というのとは違う方向に話が進んでいきます。そう、これが素人です。

 

ちゃんとした本のように、テーマから背景から、びっちりと組み上げているわけじゃないですし、なんならネタだけ見つけて、オチを考えずに書き出すことのほうが多いので、そりゃ仕方ないさ、とも思います。

 

私のブログは、笑いを狙っていたとしても、笑ってほしいあまり、笑いまでのプロセスを詳しく記述してしまう。そんな癖があるんですよねー。

ひとつの話をそれだけ膨らませるのだから、文字数も増えるし考えようによってはお得なのですが、それならもっといたる所に笑いを散りばめないといけない。

 

それでいて、たまにはしんみりと、じんわりと心に入り込むような話を書きたくもなる。ロックアーティストがドカンと売れて人気が安定すると、3枚目ぐらいでおもむろにバラードをリリースするような感じだろうか。いや、売れてないけど。ロックでもないけど。

そういう話は、自分がそう感じるだけなので、多くの人には、よくわかんないけどダラダラと長文が連なっているなぁ、と思われていることでしょう。

 

そして、タメにはならない。

情報源はほとんどが自分の脳内で生産されたものであって、裏付ける根拠だとか、統計だとかは盛り込まれていない。その情報が役にたつのは、私自身か、私ぐらい引きこもりの妄想好きに「あぁわかるわかる」と思って頂けるぐらいのものです。

 

と、自分のブログの至らなさを延々と述べてきました。しかも、ここまでに書いてきた「ダメな要素」が全て盛り込まれている逸品に仕上がっております。

 

一応ですね。

「ぷっ」とか「くすっ」ぐらいの笑いは提供したいと思ってたりします。ゲラゲラは苦手。

ついでに、共感も感じてもらいたいとも思ってます。「ほんとそれな~」みたいなのではなく、「こんなところにおんなじような事を考えている人がいた!」みたいな。

 

それは、とりもなおさず、自分がそういう人を求めているからに他ならないでしょうね。

 

(そしてまたオチがなく終わる)

f:id:KE-KE:20211014202754j:plain

本文とは「哀愁」以外に関連はありません