故(ふる)きを温め、新しきを知る。
私の好きな言葉のひとつです。
ただ、私自身、つい最近まで意味を微妙に勘違いしておりました。
「昔に学んだことや、起きた事柄を調べなおし、新たな知識を得る」
という意味らしいのですが、私は、
「昔からの習慣や道理を大切にしつつ、新しい価値観などを身につけていく」
といった意味合いで理解をしておりました。
その理解のまま座右の銘にしておりましたが、日頃は頭に浮かぶこともほとんどない、そんな言葉でした。
なんでこの四字熟語を思い出したかといいますと、帰宅中、電車やバスの中でYouTubeを見ていたんですね。
以前のブログに書いているように、保険やら家計やらの見直しをしているので、つい「そっち系」の動画ばかりを見ていたんですけども。
対談という形で、ファイナンシャルプランナーが色々と喋っているものだったのですが、プロ2人が、資産形成だのなんだのと語っていたのですが、結局のところ「将来はどうなるかわからない」と言っていたんですね。
動画のトータル的な意見や主張は、視聴した方の価値観や思想に基づいて判断されるべきことだと思うのですが、そこの部分がやけに印象に残りました。そして私の中に出てきたのが、温故知新という言葉でした。
結局、今どれだけ綿密に計画を立てて、ほぼ100%の確率で資産形成に成功するという答えをはじき出したとしても、「今」を生きる我々には想像しえない何かが将来に起こるかもしれない、と考えると、100%というのは確かにない。
何かひとつでも狂えばすべてがご破算になるような緻密な計画、計算は、100%の安定性があるように見えて、結局は「今」の延長にしか成立し得ない、薄氷の上でしかないわけです。
日頃のニュースに耳を傾ければ、将来どうなっていくのやら、私のような凡人にはわからない要素がたくさんあります。国際情勢もそうですし、地球環境もそうです。日本では少子化高齢化も深刻ですし、これから没落していく、とも言われている日本経済はどうなっていくのか、とか。
マイナスだけではなく、プラスの面でもそうです。技術発展などで、常識が覆されていくかもしれない。学問の発展により、新たな思想・主義が生まれるかもしれない。
私はそういう知識はないので、わかっている人にはわかっているのかも知れません。
でも、それも「今」想像しうる、計算しうる範疇での「わかる」でしかないのではないか、とも思うわけです。
災害というものも、どれだけ研究したり技術開発をしてきていても、結局「想定外の規模だった」の一言で片付けられてしまうのですから。
考えてみれば、
・ラジオしかない時代に生を受け
・白黒テレビで「動く絵」に衝撃を受け
・カラーテレビでその鮮やかさに感動し
・今やスマホで映画もお手軽に見れるし、なんなら動画も作れる
これが、一人の日本人の人生の中の出来事です。
しかも、まだまだお元気な方がいらっしゃる世代です。
ラジオしかない時代から今日に至るまで、少なくともメディアという分野においての常識は、何度も塗り替えられてきたのではないでしょうか。
そして、もはや若い世代から中年層に至るまで、もはやテレビを見ていない、という人も増加しつつあるわけで。
このスピードを保ったまま「映像」「動画」という文化がさらに発展を遂げていくのであれば、スマホでYouTubeやNetFlixなど、今の我々に例えれば「真空管ラジオ」のようなものでしょう。
私が若者と呼ばれていた頃ぐらいから、こういう文化、技術、思想、考え方は、加速度的に発展してきていると思います。
私も、その波に乗り遅れてはいけない、と思って焦っていた時期もありましたが、いつかそれに疲れて降りてしまいました。勝ち組・負け組、という考え方が流行ったころです。
一種のヒステリーのように、過剰な加熱にも思えるんです。
そして、結局どこかでふと冷静さを取り戻し、世界をけん引する人たちが(政治家という意味ではなく)、温故知新の境地に立ち返るのではないかと。
ま、映画なんかだと、取り返しがつかなくなってから気付くんですけどね。