休日を、何もせずに過ごしてしまう心理を自分なりに考えてみました。
単純に、自分自身がそうである、というわけですが。
このままではいかん、という思いだけはあるのです。
順を追って、自分の怠惰を考察していきたいと思います。
①健康的とか、充実した過ごし方の情報は知っている
②本人なりの「行動に移せない」理由がある
③価値観を変えないと変われない
④変わるには
①情報は知っている
まず、情報は色々と入ってきます。
ストレス解消とか、リフレッシュとか、疲れをとるとか、主に健康維持のためにも休日を充実して過ごすことが大切であると。
そのために、運動しましょうとか、趣味に没頭しましょうとか、極力、体を動かしましょうとか、まぁ多くの「過ごし方の提案」というのは巷にあふれています。
スマホなどで、インターネット上の情報は身近にありますので、これらの情報は否応なく入ってきます。
②本人なりの「理由」
それら情報の理屈はわかります。
それなりのデータをもとに、だからこうするとよい、という話は信憑性がありますし、実際にそれで健康を維持していたり、何か良いことがあったり、ということはわかります。
頭の計算だけで考えれば、そのように休日を過ごすほうが、何もしないで家に引きこもっているよりもずっといいのは、私でもわかるのです。
それでも、その方向に舵を切らないのはなぜだろうか、と。
そこには、だらだらしてしまう人なりの「理由」があると思うんですね。
これは、本人が自覚していない場合も多いと思いますので、この理由を明確にするには、休日の行動ひとつひとつの「動機」を意識していく必要があると思います。
③価値観を変える必要がある
では、だらだらしてしまう「理由」とは具体的に何なのか。
これは十人十色、としか言いようがないのですが、あくまで私の例として考えていこうと思います。
私自身、何もせずにだらだらとする時間を「贅沢」「至高」と考えているフシがあります。
もしくは、休みにしかできないことをする、の選択肢の一つに、だらだらする、というのがあり、それがまた優先度が高いわけです。
では、なぜだらだらすることを休日の至高として考えているのか。
こんな私でも、若いと呼ばれる頃は、趣味や好きなことに没頭することができました(それでも怠惰な方でしたが)。もちろん、今とは職場も違えば働き方も違った、というのがありますが、この「働き方」が、だらだらすることを至高とする価値観の醸成に大きく影響していると考えます。
私の職場は、ほんの数年前までは、ブラック企業とまでは言わないものの労務管理は崩壊している職場でした。年間の休日は日曜日の数より少ない年もありましたし、残業時間も垂れ流しで、サービス残業というのもはびこっている状態でした。
そんなわけで、たまの休みはほとんど寝て過ごしていて、逆に言えば「時間を気にせず寝ていられる」のが喜びで、それを実践すると夜まで寝ている、というような状態でした。
なので、休日は「とにかく体と心を休めないと壊れる」という危機感がありましたし、何か行動をする、ということ自体が、内容に関係なく、ひとつの「心身への負荷」であったわけです。
そのような環境だったので、何もしないでだらだらする、というのは、私にとっては至高の「贅沢」として体や心に刷り込まれたのだと思います。
④価値観を変える
なので、この価値観を変えない限り、心も体も、だらだらすることを求めてしまいますし、自分の意識がその仕組みをまず認識していないと、いつまでも「なんとなく動くのがだるい」「何もやる気がしない」ということになります。
幸い、私自身の環境としては、職場自体がそのブラック状態を良しとせず、今はホワイト化を目指して改善を進めていますし、実際、ずいぶんと変わってきました。また、職場内での部署や立場も変わり、休日は休日として過ごせる環境になってきました。
なので、価値観を変える環境は整ってきたと言えます。
あとは、失ってしまった「休日にやりたいこと」を見つけ、行動に移せば、もしかしたら価値観を変えられるかもしれません。
長々と書いてきましたが、きっかけは「なんで自分は他の人のように休日をキビキビ過ごせないんだろう」という疑問が湧き上がってきたからです。だらっとしていたソファーから、不退転の決意を持ち、心を鬼にして起き上がり、徒歩2~3分のコンビニまで買い物に行ってきたところです。やり遂げた感。
まぁ、この疑問は定期的に湧き上がってくるんですけどね。今回は文字にしてまとめてみようと思いました。
こうしてブログを書き始めたのも、何かを変えていくための、自分の積極的な動きのひとつです。
他にもいくつかはじめてみたのですが、残念ながらそれらは休日に、というわけではなく、また、健康に結びつくようなものでもありません。軌道に乗れば、充実感は得られるかもしれない、ということはあるかもしれませんが。
そんなわけで、今日は終始、堅苦しい話で申し訳ありませんでした。